人はなぜ生きるのか
あなたの知っている人を顧客とするならばせいぜい50人、しかしあなたの知らない人を顧客とするならば30億人。この差が意識の持ち方だとすれば重大なこと。皆に伝えたいこと、前向きな生き方が道を切り開く。
あなたの知っている人を顧客とするならばせいぜい50人、しかしあなたの知らない人を顧客とするならば30億人。この差が意識の持ち方だとすれば重大なこと。皆に伝えたいこと、前向きな生き方が道を切り開く。
最近、現代人は
生きる力が弱くなってきていると、
本か何かで読みました。
若者においては
その弱さは一段と増すといいます。
一連の少年犯罪や、
統計として出ている自殺者や
精神病者の数を見れば、
納得できそうなことです。
しかし、
日本は物資豊かで、
海外の国々と比べれば
平和そのもののはず。
経済が滞っているとしても、
飢え死にするわけではありません。
それが生きにくい社会とは
どういうことなのでしょう。
その答えは、
「人がなぜ生きるのか」
というところにつながっているようです。
人はなぜ生きるのか。
最近このような問いかけを
よく耳にします。
書店に行けば、この手の本が
新刊として必ず置いています。
人それぞれ自分で答えを見出せば
それでいいのですが、
普遍的な生きる理由を
ひとつ述べてみたいと思います。
人はなぜ生きるのか。
それは環境からの
見返りがあるからです。
見返りといっても、
メリットのほうです。
人が何らかの行動を起こせば、
環境側からメリットが受け取れる。
そうすれば、
人は生き続けることができる。
もっと言えば、
メリットがあれば
人は嫌でも生きようとする。
逆にこれが、メリットがない、
またはデメリットばかりになると
人は生きることができなくなる。
今の世の中が生きにくいとは、
環境からの見返り(メリット)が
得にくいということです。
自分の価値観に沿った行動に、
しっかりとした見返りがないとき
人は生きることが辛くなる。
リストラされ、仕事もなく、
社会的地位を失った人が
自分に価値を見出すことが
出来ず死を選ぶことがあります。
築き上げてきた自分の会社が倒産して、
すべてを失った人が死を選ぶ時があります。
いじめに苦しみ、学校に行くのが辛い。
学校に行きたくないと言って
親を困らせるのも心苦しい。
どこにも見返りを得ることが出来ず
生きていることが辛くなる子供がいます。
恋人に振られ、すべてを失った気分になり、
生きていても仕方がないと感じる人がいます。
長年、夢を追い求めてきたはいいが、
とうとうその夢が絶たれ、
生きていく希望を失った人がいます。
人は環境からしっかりと
見返りを受け取れないと
生きていくことが難しくなります。
生きる力は環境から
貰い受けるものです。
自分の内から
沸いて出てくるものではありません。
振り絞って頑張れば
生きる力が湧いてくるわけではありません。
学校や会社に行くのは当たり前。
当たり前のことができないと、
自分がいやになる。
しかし、見返りがなくなれば、
当たり前のこともできなくなります。
多く、人といったものが、
意思や根性、内なる力、気の持ちようで
何とでもなると勘違いしているようです。
しかし、それは大きな間違いです。
いくら気張っても、
いくら踏ん張っても、
環境を見過ごしていれば、
何の意味もありません。
現代人は生きる力が弱ってきているというのは、
環境からの見返りが十分ではないということです。
学校に行くにしても
会社に行くにしても
何をするにしても、
したらした分だけ、
そこに見返りを
受け取らなければならなりません。
自分の行動に十分に見返りがある人は、
人生が充実しています。
そんな人は、まず
「人はなぜ生きるのだろう」とは考えません。
生きる理由など考える必要がありません。
環境からの見返りこそが生きる理由だからです。
人はなぜ生きるのか?
そこにメリットがあるからです。
まとめ
人は環境からしっかりと
見返りを受け取れないと
生きていくことが難しくなります。
生きる力は環境から
貰い受けるものです。
自分の内から
沸いて出てくるものではありません。
振り絞って頑張れば
生きる力が湧いてくるわけではありません。
学校や会社に行くのは当たり前。
当たり前のことができないと、
自分がいやになる。
しかし、見返りがなくなれば、
当たり前のこともできなくなります。
人はなぜ生きるのか?