ストレスをどう見るか
意識を黙らせることは難しい。言葉がなければ思索できない。魂の認識を言語に置き換えたもが意識である。関ヶ原に雪がないように言葉がないと認識できないのか。魂が言葉を得たそこがすべての始まりである。環境と巡り合わせで決まる。このプログラムの選択権は自分にはない。
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人は、仲のいい友人であっても、
一緒にいるだけで
何らかのストレスを
感じているそうです。

自分の言ったことが
相手に伝わらなかったり、
自分の気持ちを抑えて、
相手に合わせようとしたり。

自分の思い通りにならないことで、
何らかのストレスを感じているそうです。

社会で生きている以上、ストレスは、
誰もが経験していることになりますね。

現代社会に起きている
人間関係の希薄化と
結び付いているのでしょうか。


それはさておき、
一般に、ストレスとは、
マイナス的要素に捉えられ、
人をうつ病など精神的な病に陥れる
厄介者として見られがちです。

しかし、ストレスの本性とは
そんな冷めたものではありません。

人が環境の中で生きていく上で、
大きな役割を果たし、
人の生存を助けてくれるものです。

というのは、ストレスは、
人が意味のない行動、
メリットのない行動を
とらないように仕向けてくれる
ありがたいものなのです。

デメリットを受けるものから
回避してくれる、
ありがたい存在なのです。

ストレスがあるおかげで、
人は自分に不利益な行動を
とらないで済むのです。


退屈な人と一緒に時間を過ごすことは
苦痛で、時間の無駄に感じるものです。

そういう時、ストレスが発生して
その行動を持続しないようにしてくれます。

嫌いな人と一緒にいるだけで
イライラしてストレスがたまります。

そのイライラのおかげで、
その後、その人と逢わないように
心がけようとします。

また、退屈な仕事、やりたくもない仕事、
そういった自分に不利益なところで
ストレスを覚え、その場面を回避しようとします。

自己防衛の手段として
ストレスは一役をかっているのです。


ストレスとは
自分の精神状態を壊そうとする
厄介者ではありません。

逆に、自分を守ろうとする
大事な存在なのです。

それが正しいストレスの捉え方です。

しかし、ストレスがあるからといって
避けていればいいというものではありません。

社会はそれを許してくれません。

本人とって、それが苦痛で、
行動を持続していくことが難しくても、
社会要請上、とるべき行動があります。

勉強、仕事、育児などがそうですね。

自分が思ったように
見返りが得られない時でも、
それを持続していかなければ
ならないときがあります。

ここが難しいところです。


そういう時は、
ストレスとうまく
付き合わないといけません。

勉強がはかどらないといって
投げ出すわけにもいきません。

仕事がうまくいかないといって
やめるわけにもいきません。

子育てにイライラするからといって
育児を放棄するわけにはいきません。

環境からの見返りが
十分に受け取れないとき。

自分の思っていることが
うまく運ばないとき。

そのような時、人は
ストレスを覚えるようにできています。

ならば、環境を整えるか、
もしくは、自分の思い上がった信念を変えるか、
どちらかで対処することが必要になってきます。


環境を整えるとは、
勉強で言うと、塾に通う、家庭教師を雇う、
などが挙げられます。

勉強そのものから
見返りを受けることが困難な場合、
周りから見返りを受けられるようにします。

仕事でも、仕事そのものから
見返りを受けることが出来ず、
ストレスがたまってくれば、
自分の好きなことをして
発散させてやるのです。

育児でいうなら、
周りに援助を求めるなどがあります。


自分自身を変えるというのは、
勉強でいうと、志望校を変えるなり、
目標設定を下げる。

仕事なら開き直るのも手です。

育児でも開き直ることが大事だといいます。

そうやって、本人に合った何らかの対処法で
ストレスとうまく関わることです。


ただ、知っておきたいのは、
ストレスとは
自分を滅ぼそうとするものではありません。

自分と環境との均衡が
保てていないことを教えてくれる、
「警報機」みたいなものです。

ストレスを感じたら
ストレスを厄介者として
追いやるのではなく、
ストレスを感じる環境や自分を
見直してみてください。


まとめ

ストレスとは
自分の精神状態を壊そうとする
厄介者ではありません。

逆に、自分を守ろうとする
大事な存在なのです。

自己防衛の手段として
ストレスは一役をかっているのです。

自分と環境との均衡が
保てていないことを教えてくれる、