あなたは神を信じますか?
意識追認不存在、神の定めと意識性は共在する。思索の切り口訴求の切り口、意識性とはただ起きている状態を指すのではない。自分の意識を客観的に自覚しつつ行動を選択している状態を言う。我が意がままならぬ、神心ブランド、骨子は紙かPC、展開は機動性のスマホ、何でもいいから仕上げること。即物的刹那に生きる、人生の総和はすべての人に等しい。自意識の空白を楽しむ、意識状態の細分化。
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ある大学生の会話。

「なぁ、神様はいると思う?」
「年末年始や商売繁盛の恵比寿参り、
何かと神を称えたお祭りがあるけど、
みんな本気で神の存在を信じているのかな?」

「まさか、これほど科学が発達した世の中で
神の存在を信じるなんて昭和一桁生まれの人間か、
カルト宗教にとり付かれた人間ぐらいだよ」

「そうかなぁ。みんな必死で祈っているのを見ると
あれはどうも本気だよ。」

そこに精神分析学を専攻する幸一君が現れた。

「幸一、どう思うよ。
どうして、みんな祈るんだ?
本当に神の存在を信じているのか?
精神分析家からして、あの行動はどうみるんだ?」

「そうだな。ユングの精神分析理論からすると、
誰もが心の奥底に神の存在を宿しているとされている。
その証拠に、どの文明社会でも神を創造し、神をたたえてきた。
でも、俺自身の見解では、目に見えないものを信じてしまうのは
不安の現われじゃないかと思う。
心の奥底に不安や自信のなさがあるから祈るんだよ。
一種の依存心の現われなんじゃないかな。
だから、神に祈る人ほど依存心が強い。
そして、それがまた自分の自信のなさにつながっている。」

そこに、先ほどから会話に耳を傾けていた
行動分析を専攻するかずひさ君が口を挟んだ。

「おいおい、いい加減にしろよ。
そんな勝手な憶測で人を見てどうするんだ。
自信がある奴でも祈る人はいるだろうし、
自信がなくても祈らない奴もいる。
依存心が強いからって神を信じることとは
別問題じゃないか。
神に祈りを捧げる行動は迷信行動といわれるものだよ。」


「迷信行動」

ある行動を起こし、
そこにたまたまメリットを
得ることができると、
その行動を学習してしまう。


ハトの実験にこんなものがあります。

実験箱の中で飼っているハトに
15秒間隔で餌を与えます。

餌を与える直前、
このハトはたまたま右にくるりと回りました。

くるりと回った直後に
餌を得ることができたハトは
右に回る行動を学習してしまったのです。

ハトが右に回る行動と
餌が与えられるのは関係ありません。

15秒経てば
嫌でも餌は出てきます。

しかし、右回りの行動の直後に
メリットが与えられたハトは
この行動を学習してしまったのです。


昔々、生贄は実際に行われていたそうです。

初めは誰かが勝手に言い出したことでしょう。

しかし、それを実際に行動に移した結果、
本当に願いがかなってしまった。

生贄を捧げた結果、
今まで降らなかった雨が降った。

それが生贄のおかげでなくとも、
生贄を捧げることを学習してしまったのです。

迷惑なお話ですね。


人はある行動を起こし、
そこにたまたまメリットが与えられると、
その行動を学習してしまいます。


験を担いで意味のない行動をすることは
よくある話です。
(もちろん、当人にとっては意味のある行動です。)

競馬をする前には
カツカレーやカツ丼を食べる人がいます。

食べて後、競馬で勝てれば
また繰り返されます。


大事な試合前には、パンツを左足からはく
スポーツ選手がいると聞きました。

まさに、迷信行動です。


いんちき臭い黄色の蛇革財布、
金メッキの幸せを呼ぶネックレス、
「この宇宙パワーで持って、大金持ち!」
そんなものを買う人はいるのか?と思うのですが、
実際にたくさんいるようです。

チラシ広告でも紹介されているように、
実際に宝くじにも当選しているようです。

しかし、これは
何百、何千、何万という人の中の
一部分の人のこと。

全員が全員、
当選しているわけではありません。

大多数の人が
財布やネックレスを持ち歩き、
その中の一人が当選したにすぎません。


当選しなくても、
何かいいことが起きれば
そのアイテムのおかげだと思うものです。

実際には
財布やネックレスのおかげでなくても、
たまたまそれを持ったことで
メリットを得ることができれば、
買った本人は財布やネックレスのおかげだと
信じてしまうのです。

迷信行動です。


神様に祈るのも同じです。

何が功を奏したのか分からない。

しかし、お祈りをした結果
そこにメリットがあれば、
その行動を学習してしまいます。

メリットなんて何でもいいのです。

お祈りした結果、事がうまくいった。

お祈りした結果、試合に勝つことができた。

お祈りした結果、合格することができた。

お祈りした結果、病気がなおった。

お祈りした結果、手術に成功した。

お祈りすることで安心できた。

お祈りすることで不安が消えた。

いてもたってもいられない気持ちが
祈るという行動によって解消された。

お祈りをしたことでメリットが得られると、
実際にはお祈りのおかげでなくても
人はお祈りが功を奏したと考えてしまいます。
  

多くの人は意味があるのか
ないのか分からない行動を起こします。

その行動と結果に
因果関係はないでしょう。

妥当性もないでしょう。

多くの行動は十中八九、
迷信行動によるものです。

たまたまメリットがあれば、
人はそのおかげだと信じてしまう。

単なる偶然を
ありもしない未知なるパワーに帰してしまう。


環境からの見返りで生きている以上、
そのような捉え方をしてしまうのは
仕方のないことです。

しかし、怪しい商売にも
利用されていることを知っておきましょう。

そして、この人間行動分析学が
詐欺に応用されるとこともあります。

つまり、人間行動分析学を利用すれば
簡単に人を騙せるということです。


それを次回、お話したいと思います。


あ。。。占について書くの忘れていました。

占は、実際に占にしたがって行動を起こし
そこにメリットがあれば、占を信じる人になるということです。

占を信じない人は、占にしたがって行動を起こしたことがない人。

信じないけど、気になる人は、占にしたがって行動したけど
メリットがなかった人ということになります。


「やる気が出ない本当の理由」の読者さんの
今週のラッキーカラーはブルーです。

↑こんなことを言われて、実際に
ブルーを基本に一週間過ごして、いいことがあれば、
あなたは、僕の信者となります。


まとめ
  
「迷信行動」

ある行動を起こし、
そこにたまたまメリットを
得ることができると、
その行動を学習してしまう。

多くの人は意味があるのかないのか
分からない行動を起こします。

たまたまメリットがあれば、
人はそのおかげだと信じてしまう。

環境からの見返りで生きている以上、
そのような捉え方をしてしまうのは
仕方のないことです。







からの引用です。