目的なくして生きられない人
意識を失う、意識性を失う、同じような言葉に見えても意味は全く違う。意識を失うとは文字通り失神であるが眠っている間や自覚症状のない状態も一部含まれる。意識性を失うとは意識的に自分を制御できていない状況のことである。
意識を失う、意識性を失う、同じような言葉に見えても意味は全く違う。意識を失うとは文字通り失神であるが眠っている間や自覚症状のない状態も一部含まれる。意識性を失うとは意識的に自分を制御できていない状況のことである。
人が行動を起こすときには、
何か動機があると考えるのが一般的です。
生きるということ、それ自体でも
何か目的があると考えるのが普通です。
公園で声を張り上げ
走り回って遊んでいる子供を見て、
目的や理由をもって遊んでいると思いますか?
もっといえば、おんぎゃ~と
産まれたばかりの赤ん坊は
目的を持って生きていると思いますか?
人間は、一般動物と同じように、
基本的には目的がなくても
生きていける生き物です。
しかし、社会で生きていく我々にとって、
それだと不都合が生じるという理由から、
目的や目標を持った生き方をするよう、
親や、周りの大人から教えられます。
それがいつしか、
目的・目標を持つことが
人間の生き方だと
認知されてしまったようです。
子供のころ、よく親から
「どうしてそんなことをするの!」と
叱られたりしたことがあったはず。
しかし、子供時分は、目的などなく、
思考よりも行動がいつも先行していたため、
理由や目的を答えることは難しかったはずです。
しかし、
目的や理由のある行動をするようにを教えられ、
いつしか、自分の行動に
目的や動機を問いかけることを身につけます。
このような生き方は、
人に退廃的な生き方をしなために
役立っているのかもしれません。
目的・目標のない生き方は、
何でも途中で投げ出し、
根無し草のような生き方になりかねません。
目的・目標を持つことで、
人に忍耐や努力を教えるきっかけにもなります。
効率性の面でも、
無駄を省いていいかもしれない。
また、目的・目標を持つことは、
その人に安心感を与えてくれるものです。
目的や目標を持つことで、
ある決まったレールが敷かれるからです。
しかしです。
生きることに目的がなくては
生きていけない人になっていないだろうか。
目的がなくなったとたんに
生きることができなくなる人が
最近増えてきています。
自殺者が3万人を超える日本社会で、
一つ言えることがあります。
一つの目標、一つの生き方がなくなれば、
生きていけない人間が増えたということです。
リストラにあい、
打ち砕かれる思いをする人がいます。
会社の経営に行き詰まり、
倒産に追い込まれ、
すべてを失ったと感じる人がいます。
夢を追いかけてきたはいいが、
現実の壁とぶち当たり、挫折し、
生きる望みを失う人がいます。
恋人にどっぷりつかり、
振られたとたんに生きていけないと
感じる人がいます。
人には何らかの形で、
生きることが辛くなるときがあります。
人を支えているのは環境です。
その環境から見返りがなくなれば
生きることが辛くなってしまいます。
一つの環境にしか身をおいてこなかった人は、
その環境から見返りが得られなくなると、
それで人生が終わったと感じてしまします。
仕事人間だった人が、
会社が倒産して
そこから見返りが得られなくなると
生きていくことができなくなる。
仕事も家族も友人も自分の趣味も、
多くのものから見返りを受けている人は
危機に陥ることはありません。
恋人も自分の生活も仕事も、
全部大事にしてきた人なら、
恋人に振られても、落ち込むことはあっても、
生きることが困難になることはありません。
目的がなくなったからといって、
人は生きていけないわけではありません。
今、生きることに困難を感じているなら、
それは仕方がありません。
しかし、それは「生きていけない」
という意味ではありません。
一つの環境にしか
自分を置いてこなかっただけに
環境から見返りがなくなっただけの話です。
今が生きづらいだけです。
新しい環境が見つかるまでの
しばらくの間だけ・・・。
まとめ
目的がなくなったからといって、
人は生きていけないわけではありません。
今、生きることに困難を感じているなら、
それは仕方がありません。
しかし、それは「生きていけない」
という意味ではありません。
一つの環境にしか
自分を置いてこなかっただけに
環境から見返りがなくなっただけの話です。
今が生きづらいだけです。
新しい環境が見つかるまでの