人間の賢さと愚かさ
内なる神グレサムちゅーのはグレイトサムシングの短縮形や。そやけど真剣にやらんとあかんな。どうみてもたるんどる。寝過ぎや。大体この年になって7時間も寝ててどうすんね。酒飲んだら飲んだでぐだぐだになるし、すぐに前後不覚に陥り寝てしまう。あほかいな!向上心ちゅうもんが明らかに欠如しとるで、会社の仕事だけをやっとったらええんなら道は開けへんで、懲りなあかんわ。自分で生きていく算段を持たなんだらコケにされる。そら間違いない。せっかくここまできたんや、自分の怠け心とほどほど人生に身切りつけて再発車せなあかん。いうとくけどラストチャンスや、チャンスはそうたびたびこえへんで、もっと考えろ。もっと勉強せい。
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昔から、勉強が出来るから
賢いとはよく言われます。

気配りができて、
状況に応じて臨機応変に振舞えるから
賢いともよく言われます。

また、アイデア、発想が優れている人も然り。


人それぞれ立場や環境が変われば
賢い人の捉えどころは違うでしょうが、
一つ言っておきたいこと。

人間の賢さとは、
知識量や抽象的思考だけではありません。

そんなものがあってもなくても
人生の甲乙に差はありません。

事実、知識豊富な学者や
天才的な頭脳を持った数学者、
人間を理解したつもりになっている心理学者が
幸せを手にしているかといえば、
必ずしもそうじゃないですよね。

東大卒と高卒を比べてみても、
収入の差はあれ、
人生を謳歌しているのは
どちらだとは断言できません。

それに知識などは人を統制する上で、
大して意味のないものです。

知識や合理的思考で
自分の感情をコントロールできる人が
どれだけいるでしょう。

賢いその脳みそで
どれだけ自分を豊な人生に
導くことが出来るでしょう。

いくら自分を説得しても
無理なものは無理なのです。

賢いといわれる人もそうでない人も、
自分を統制する上では
感じているものは同じなのです。


それでは、人の賢さとは
どのようなものと捉えればいいのか。

人は環境をもとに生きていることは言いいました。

その環境を作り、選び、
そして変えていくことができるのは
人間だけです。

それこそが人間の賢さではないでしょうか。

逆に、愚かなところは、

人間が知識でどうにでもなると
思っているところではないでしょうか。

「教えればすむ、言葉で言えば分かる、
言い聞かせればできる」

そんな浅はかな考えが
愚かさではないでしょうか。

そこに気づかず、
多くの問題が山済みになっています。

そこに気づかず、
無駄な努力がなされています。

そこに気づかず、
非難、叱責が飛び交っています。

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科学技術や新たな知識のおかげで
快適な空間、環境が作られてきました。

経済発展や異文化の流入のおかげで
環境は大きく変わってきました。

それに伴い、
その環境に暮らす我々も変わってきました。

価値観や常識が崩れ去り、
新しい生き方、新しい生活が
求められるようになってきました。

いろんな文化や技術、知識を取り入れ、
環境を変えていくことを目指してはきたが、
その結果、その環境にいる我々まで
変わることは予想していなかったのではないでしょうか。

おかげで、何が正しく、何が間違いであるのか、
きっちりした指針もなく、右往左往しているのが現状です。


ここで学ぶことがあります。

環境が変われば人は変わる。

ならば、人を変えるには
環境を変えてやればいいのではないか。

これだけ環境を変える力がありながら、

人を統制することには、
まだ使われていないし、
そこに気付いてもいない。

これからは人を統制するために
環境を変えいくことが大切になってきます。

環境から受身になっていた自分から、
逆に、環境に働きかけて
自分を豊かな方向へ導かせる。

これが人間の賢さではないでしょうか。


まとめ

環境が変われば人は変わる。

ならば、人を変えるには
環境を変えてやればいいのではないか。

これだけ環境を変える力がありながら、

人を統制することには、
まだ使われていないし、
そこに気付いてもいない。


これからは人を統制するために
環境を変えいくことが大切になってきます。

環境から受身になっていた自分から、
逆に、環境に働きかけて
自分を豊かな方向へ導かせる。