蛙の子は蛙
おい、お前、お前は一体誰なんだ、浴室の一点を注視する、見えてくるものはない。しかしそこには間違いなく誰かいる。それは自分かもしれないしそうでないかもしれない。気がついたら昔のメロディーを歌っていたりするお前だ「結婚するって本当ですか、今でもあなたが好きだから」自分であり自分でないお前は好き勝手に生きている。主たる意識を無視して何の変革も起こそうとしない。動物意識のようになすがままなるがままなのだ。どうすればお前を制御できるか、きっと制御してみせる。まだ見えない、もっと深く見なければ何もわかりゃしない。此処を暴くこと、そして意識で制御するテクニックを発見せねばならな。、考えをさらに深め記録を文章にして残すのだ。
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「蛙の子は蛙」とはよくいえたもので、
親と子はよく似るものです。

人前での腰の低い自分。
あれはきっと親譲りです。笑

頭のできも親に似て、どうも今ひとつ。
パッとしません。


生き方においても似てくるものです。

親が政治家だとその子供も
同じ政治家の人生を歩むことがあります。

芸能人の親を持つ子供が、
同じ芸能界にデビューすることは
珍しいことではありません。

家が病院を営むところは、
子供も医者を目指すものです。

一般サラリーマン家系なら
自分もサラリーマンとなっているもの。


さてさて、どうしてでしょうか。

意外と親と同じ生き方をしている方は
多いのではないでしょうか。

似たくもない親に似てしまう。

これぞまさしく遺伝子のせいなのでしょうか。


イヤイヤそんなことはありません。

顔や形が似るのは
遺伝子のせいでしょうが、
多くは環境が原因です。

遺伝子のせいだと考えてしまえば、
親に似る自分を諦めることになりますから。


親の背中を見て子は育つ。

親が何に価値を置き、
どのような生き方をしているか。

その背中に子供は何を見ているか。

やはりそこでしょうね。


子供は、対人関係など
様々な行動パターンを
環境である親から
学んでいるといっても
過言ではありません。

人には「モデリング」と言われる
学習機能が備わっています。

社会で生きていく作法を
親を真似ることで身に付けていきます。

腰の低いところをいつも見てきた子供は、
自分も腰の低いところを自分の環境でやってみると、
それが意外とみんなに受け入れられた。

すると、その子供はその後、
腰を低くしてみんなに受け入れられようとします。

親が実際にやっていることを真似ることで、
それが自分の環境で受け入れられれば、
その行動パターンは出来上がりです。


もし、今の自分とは違った
理想となる行動があれば、
それを真似してみることです。

真似したことが、自分の環境で受け入れられれば、
その行動は学習されます。

しかし、現実、そんなに甘くありません。笑

今の環境はそんな理想の自分を
受け入れてくれはしないでしょう。

今いる環境は、あくまで
今までの自分に合った環境です。

今更、理想の自分を演じたところで
場をしらけさせるだけです。笑

理想の自分になるには
環境自体を変えなければいけません。

環境を変えないことには
見返りを受けることができませんから。

しかし、環境を変えるなどと
そんな面倒なことはしない。

今いる自分で十分見返りを受けている。

そうやって、
蛙の子は蛙になっていくのです。


親の背中を見てそこで多くを学びます。

何を美徳とし、何に価値を置いて、
どのような振る舞いをするのか。

どうすれば人に認められ、
どうすれば人に受け入れられるか。

いろんなことを親から学び、
それを社会で実行に移すのです。

親から学んだことを社会で実行しようとすれば、
親と似たような環境に身を置かなければなりません。

そうしないと見返りを得ることができませんからね。

親と子が似るのは、必然といえるでしょう。


親と違った生き方をしたいと思えば、
親と違った環境に身を置かなければなりません。

しかし、それは子供にとっては酷なこと。

なぜなら、グレるか、家をでるか、勘当されるか、
いずれにせよ親が喜ぶことではないからです。笑

やはり、蛙の子は蛙になるようにできているのですね。

ちなみに、僕はグレました。


まとめ

人には「モデリング」と言われる
学習機能が備わっています。

社会で生きていく作法を
親を真似ることで身に付けていきます。


親から学んだことを社会で実行しようとすれば、
親と似たような環境に身を置かなければなりません。

そうしないと見返りを得ることができませんからね。