夢を諦めるべきかどうかの判断の仕方
意識と認識を介する言葉。意識を認識し言葉に置き換えると共有が可能となります。意識とは自分の存在に気づくこと、理解定義するには言葉が不可欠、意識とカオスを定義するには言葉足らずになります。関係する言葉の収集定義、意識関係図作成、何を書くか決めないと物書きは進まないし書くためにはネタがいります。取材か思索か、そして構想、手順からいうと構想が先でありその先に着想があります。着想から構想までできれば道半ばと言うところだと思います。まずは着想、多くのアイデア、切り口が重要です。意図すれば選択が変わり選択すると行動が変わります。
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司法試験を目指して
8年近く勉強を続けているが、
いまだ合格できないでいる。

30を過ぎて、
現実問題、
このまま勉強を
続けていってもいいのものだろうか。

ふん切りをつけて、
新たな道を探るべきなのか。

かといって、
この歳になって
新たな道を探すもの
酷なものである。


夢を追いかけるのはいいが、
その夢が実現するかどうかは
実際のところ分からない。

いくら頑張ったところで
何の成果も現れることなく
終えることもある。

それが夢の難しいところ。

なかなか結果の出ないとき、
自分に判断が迫られる。

このまま続けていいものかどうか。

いったん始めれば、
最後までやりぬくことが美徳。

しかし、いさぎよく
方向を変えることも
時には必要である。

その判断は
どこですればいいのだろうか。

自分の気持ちしだいで
いいのだろうか。

まだまだやる気があるなら
続けていけばいい。

逆に、やる気がうせているなら,
いさぎよくあきらめればいい。

そう考えていませんか?

残念ながら
そんな判断をしてもらっては
困ります。

そのように
自分の気持ちに任せていれば、
夢は本当の夢に終わってしまいます。

我々が問うべきところは、
やる気ではありません。

環境です。


人の気持ちは、
環境からの見返りによって
大きく左右されます。

司法試験に何度も落ち続ければ、
普通なら嫌になるのは当たり前です。

しかし、それでも
持続していくことができるのは、
やる気があるからでしょうか?

弁護士になりたいといった
強い気持ちがあるからでしょうか?

いいえ、違います。

環境が大きな支えになっているからです。


大学入試で現役合格できずに
一浪、二浪することはよくあることです。

しかし、三浪は少ない。
医学部ならまだ多いかもしれませんが、
ほとんどが二浪までです。

それ以上になると、
めっきりと減ります。

これはなぜでしょうか?

三浪になると
やる気がうせるからでしょうか?

そうじゃないですよね。

そこには、
社会の見方が大きく関わっています。

一浪、二浪なら
社会通念で許せる範囲にあります。

しかし、それ以上になると、
社会の目は厳しくなります。

そこが自分の気持ちを
大きく左右するところです。

社会の目といったデメリットが
やる気を失せさせるのです。

医学部なら三浪でも頑張れるのは、
医学部といったブランド?が
世間の目を和らげてくれるためです。

司法試験が
何年かかっても許されるのも同じ、
環境がそれを許してくれるからです。

同じような人が周りにたくさんいるからです。


もし、何かを目指していて、
途中で投げ出したい気持ちになることがあれば、
疑うところは一つ。

気持ちではありませんよ。

環境です。


まずは自分の環境に目を向けてみること。

自分の気持ちは
環境によって大きく動きます。

今の環境では
自分を諦めさせる方向にしか
向かないかもしれません。

しかし、別の新たな環境では
自分を鼓舞してくれるかもしれません。


フリーターを続けながら
夢を追い求めることは
日本では無理であっても、
海外でなら何の気兼ねもせずに
頑張れることは多いと聞きます。

また、そういう仲間とも
出会う機会が増えるからでしょう。


社会にはある年齢になれば、
こうするといった社会要請があります。

30歳にもなって
フリーター生活を
続けていくわけにはいきません。

夢を追いかけても
見返りがない。

そうなると人は
夢を追いかけることが
出来なくなります。


しかし、ここに
同じような境遇にいる仲間が
いればどうでしょう。

同じように夢を追いかけ
日々がんばっている仲間が
そばにいてくれると
気持ちは大きく変わってきます。


司法試験でも何でも、
何かを目指していて
自分に迷いが生じた場合、
自分の気持ちを疑う前に
まず環境を疑ってみることです。

周りを見渡してみて、
そこには自分と同じ目的を持った
仲間がいるだろうか。

型どおりの価値観しか
持たない連中と一緒にいれば、
型どおりの生き方しかできないものです。


そこにはしっかりとした見返りがあるように
工夫されているだろうか。

自分ひとりでは限界があります。

周りからの叱咤激励が大きな見返りを生みます。

友人同士、仲間同士
競い合うことも
大きなメリットになります。


そこは自分のレベルに
合った環境だろうか。

その環境では
頭打ちしていることはないだろうか。


才能や能力が足りないと
自分に言い訳しながら、
実は環境の不備に気付いていない。

そんな人がたくさんいます。

教育ママがいる家で、
お笑いタレントになりたいと言っても
それは厳しいことです。

見返りのない環境で
自分を打ち込ませることは
ストレスを生むだけです。


環境を変えることもできず、
自分の気持ちも萎えたなら、
そのときがあきらめ時です。


まとめ

才能や能力が足りないと
自分に言い訳しながら、
実は環境の不備に気付いていない。


見返りのない環境で
自分を打ち込ませることは
ストレスを生むだけです。

環境を変えることもできず、
自分の気持ちも萎えたなら、