罰の限限界
起こることすべてに意味がある。よいことも悪いこともすべては関連し意味がある。今はよいことに思えても、それは本当によいことかどうかわからないものだ。人間万事塞翁が馬である。それほど人生はシンプルではないが、かといって理解できないほど複雑にできているわけでもない。理解できないことは基本的に存在しないというのが人生である。
起こることすべてに意味がある。よいことも悪いこともすべては関連し意味がある。今はよいことに思えても、それは本当によいことかどうかわからないものだ。人間万事塞翁が馬である。それほど人生はシンプルではないが、かといって理解できないほど複雑にできているわけでもない。理解できないことは基本的に存在しないというのが人生である。
リスクを負いながらも、
その人に行動を起こさせるのは、
リスクを負う確率が低いからです。
しかし、それだけではありません。
罰の限界はまだあります。
一つに、確実に罰があるからといっても、
その人に行動を起こさせることがあります。
それは、罰を受けるデメリットよりも、
その行動を起こすことで得られるメリットの方が
大きい場合です。
罰を承知で行動を起こす、というものです。
やくざが報復といって
敵対する組の人間を射殺する。
それは、組のためであり、
そうすることが本人にとって
大きなメリットを生むからです。
罰を受けなくてはならないことも承知です。
その罰では効果がないなら、
更なる罰が必要になってきます。
罰があるのに犯罪が耐えないのは、
一つに罰が軽いということが言えます。
飲酒運転の罰則が先ほど厳しくなりました。
今までなら、少々飲んでも
基準に引っかかることはなかったのが、
少し飲むだけで赤切符。
それも罰金数十万円です。
これにはさすがに
多くの人がひるんだようです。
しかし、おかけで
飲酒運転の検挙者数は
激減したとのこと。
多くの人にとって、
今まで罰ではなかったものが、
こればかりは罰となったようですね。
二つに、罰は罰から逃れる行動を生みます。
罪を犯し罰があるとしても、
人はその罰から逃れる手段を編み出します。
これは人だけではありません。
動物とて同じです。
室内で子犬を飼ったことがある人なら
分かると思いますが、
子犬にトイレの場所を覚えさすとき、
トイレ以外の場所で
子犬が粗相をしてしまったとき
叱ったことがあるはずです。
そうすると、子犬はどうしたでしょう。
罰から逃れる行動をとっていませんでしたか。
隠れておしっこをするようになるのです。
飼い主が見ている前では
おしっこをしなくなるのです。
人も同じで、罰があると
それから回避しようとします。
生ビールを3杯飲んだあと、
帰りの道中で検問をやっていると
知らせが入りました。
さて、どうしますか。
おろらく、全員、その道を回避して、
遠回りしてでも別の道から帰るはずです。
駐車違反でステッカーが貼られていました。
さてどうしますか。
「車を貸していた」といって
言い逃れをしませんでしたか?
人は何とか罰から逃れようとします。
三つに、罰は人それぞれ違いがあります。
罰といっても、
メリット・デメリットと同じ
人によっては罰であったり、
逆にメリットにもなったりします。
小学校のクラスで
生徒が授業中に他の生徒と話をしたり、
歩き回ったりするとのこと。
それを先生が叱ります。
普通なら、その行動はおさまるはず。
しかし、最近の子供は
言うことを聞かないのです。
大人が弱くなったのか、
先生の立場が弱くなったのか、
先生に叱られても、怖くない、何ともない、
そう思う生徒が多いようです。
それでは罰にはなりません。
それに、叱られるといった行為は、
生徒にとって授業を受けずに済む
といったメリットを生むのです。
それに、叱られるというのは、
社会的注目を受けます。
叱られることで注目され
人気が出るということが
集団生活の場では見られます。
そうなると、叱られることは
もはや罰ではなくメリットになります。
また、ある人によっては
罰が罰でないときがあります。
刑務所とは罪を犯した人が
罰として労役にいそしむ場所です。
刑務所の存在は罰とされています。
しかし、刑務所の暮らしがいいといって
わざわざ罪を犯す人がいるのです。
表社会に身よりもなく、
孤独な生活を送らなければならない人にとって、
刑務所は罰ではなくなるのかもしれません。
刑務所だと決まった食事にありつける。
布団もあります。
毎日ではないがお風呂にも入れます。
公園で過酷な生活をするより
刑務所を選ぶ人がいてもおかしくはありません。
本来、人に望ましくない行動を
とらせないために罰を用いるのですが、
その罰の用法には限界があります。
いくら罰を用いても、
そこに抜け道があれば
人はそこをかいくぐろうとします。
子犬でも知っていることです。
賢い人間がたくさんいるなら、
罰で人の行動を制御しようとせず、
メリットを用いて
望ましい行動を維持させることに
頭を使いたいものです。
罰を用いなくてもいい環境を
作ることが理想ですね。
しかし、罰で人を制御する方が簡単です。
簡単であるというメリットがあるだけに、
罰で人を制御しようとする行動が維持されている。
ここも難しい問題ですね。
まとめ
罰を受けるデメリットよりも、
その行動を起こすことで
得られるメリットの方が大きい場合、
人は罰を承知で行動を起こします。
罰といっても、
メリット・デメリットと同じ
人によっては罰であったり、
逆にメリットにもなったりします。
いくら罰を用いても、
そこに抜け道があれば