2018年02月

今、我々に必要なもの

今、我々に必要なもの
神信心を始めると、信心が篤くなるほどお試しがあると言われることがある。お試しとは軽い試練ということが出来よう。その人が信心の道でどれだけ成長したかを自覚させる意味があるそうな。言うなればお試しがあるのはおかげであるということになる。ありがたいことだけがおかげとは限らない。
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最近、社会では
人生に疲れた人々を
何とかしようといった
努力がなされていますが、
果たしてその方向性は
大丈夫でしょうか。

どうもあさっての方向に
向いているように思えるのは
私だけでしょうか。

その典型例が「ゆとり」です。

休日を増やして
いろんな趣味を持ったり、
家族との触れ合いを
大切にしたりしていこうと
いうものです。

聞こえは素晴らしいのですが、
それで果たしていいのでしょうか?


今、我々に必要なものは、
よく耳にする「生きる力」です。

ゆとり、ゆとりと言いますが、
ゆとりを持てば、
そこに生きる力が湧き出るとでも
言うのでしょうか。

生きる力といったものが、
どのようなもので、
どうすれば養えるかが
分かっていないようです。


生きる力を
与えるくれるのは環境です。

ゆとりが生きる力を
与えてくれるわけではありません。

人は環境とのかかわりの中で
行動を起こし、
その見返りを受けることで
生きる力を持つのです。

人は自分が興味あること、
楽しいと思えることをしているときは、
ゆとりが欲しいとは思いません。

自分のやりたいことに
打ち込んでいるときは
疲れなんて気になりません。

寝る間を惜しんで熱中するものです。

疲れていても
休む時間がもったいないと
思うものです。

ファイナルファンタジーや
ドラゴンクエストを
寝る間を惜しんで
夜通し続けたことがあるでしょう。

「冬のソナタ」や「24」を
明日、しんどいことを承知で
見続けませんでしたか?

オールといって
夜通し遊び続けたことがあるでしょう。

大好きな人と一緒にいるときは、
もったいなくて
寝るに寝られなかったのではないですか?


今我々に必要なものは
ゆとりではありません。

ゆとりなど必要もしないほどに
打ち込める環境が必要なのです。


子供たちにしてもそうです。

ゆとり教育などと、
どこの誰が言い出したのか知りませんが、
愚策もいいところです。

人間を曖昧な形でしか
理解できていない人が、
時間的ゆとりを与えれば
少しは子供たちが変わるとでも
思ったのでしょうか。

今、子供たちに
してやらなければならないことは、
ゆとりの時間を与えて
好き勝手にしなさいと
いうことではありません。

子供たちも大人と同じ、
自分の打ち込める環境が
必要なのです。

勉強時間を減らすのではなく、
勉強内容を削減するのではなく、
「勉強がしたい」と
やる気にさせるだけの
環境が必要なのです。


子供たちに
「どうして勉強するのですか?」
「どうして生きるのですか?」
などと問われている社会では
話になりません。


経済発展の名のもと、
効率性や利便性ばかりに目を奪われた結果、
人間が生きていくうえで肝心な
見返りが失われている事に気付きたい。

子供たちが、
勉強が面白くなくなったのは、
教える側が利便性や効率性を
追求した結果、
子供たちから興味や楽しさを
奪ったからです。


今我々に必要なものは、
自分を湧かすことのできる環境です。

「ゆとり」は
疲れ果てた人が望む最後の場所。

いくら頑張っても、いくら努力しても、
見返りが得られない人のための救いの場所。

ゆとりが欲しいと思っているようでは、
その環境に期待できるものはありません。


自分を湧かすことのできる環境はお持ちですか?

自分の好きなこと、興味あることに取り組んでいますか?

今の環境に自分を熱くさせるものはありますか?

ゆとりを求めているようでは、
そこが限界だと、お手上げしているも同然です。


 
まとめ

経済発展の名のもと、
効率性や利便性ばかりに目を奪われた結果、
人間が生きていくうえで肝心な
見返りが失われている事に気付きたい。

子供たちが、
勉強が面白くなくなったのは、
教える側が利便性や効率性を
追求した結果、
子供たちから興味や楽しさを
奪ったからです。


今我々に必要なものは、

人はなぜ生きるのか

人はなぜ生きるのか
あなたの知っている人を顧客とするならばせいぜい50人、しかしあなたの知らない人を顧客とするならば30億人。この差が意識の持ち方だとすれば重大なこと。皆に伝えたいこと、前向きな生き方が道を切り開く。
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最近、現代人は
生きる力が弱くなってきていると、
本か何かで読みました。

若者においては
その弱さは一段と増すといいます。

一連の少年犯罪や、
統計として出ている自殺者や
精神病者の数を見れば、
納得できそうなことです。

しかし、
日本は物資豊かで、
海外の国々と比べれば
平和そのもののはず。

経済が滞っているとしても、
飢え死にするわけではありません。

それが生きにくい社会とは
どういうことなのでしょう。

その答えは、
「人がなぜ生きるのか」
というところにつながっているようです。


人はなぜ生きるのか。

最近このような問いかけを
よく耳にします。

書店に行けば、この手の本が
新刊として必ず置いています。

人それぞれ自分で答えを見出せば
それでいいのですが、
普遍的な生きる理由を
ひとつ述べてみたいと思います。


人はなぜ生きるのか。

それは環境からの
見返りがあるからです。

見返りといっても、
メリットのほうです。

人が何らかの行動を起こせば、
環境側からメリットが受け取れる。

そうすれば、
人は生き続けることができる。

もっと言えば、
メリットがあれば
人は嫌でも生きようとする。

逆にこれが、メリットがない、
またはデメリットばかりになると
人は生きることができなくなる。


今の世の中が生きにくいとは、
環境からの見返り(メリット)が
得にくいということです。

自分の価値観に沿った行動に、
しっかりとした見返りがないとき
人は生きることが辛くなる。


リストラされ、仕事もなく、
社会的地位を失った人が
自分に価値を見出すことが
出来ず死を選ぶことがあります。

築き上げてきた自分の会社が倒産して、
すべてを失った人が死を選ぶ時があります。

いじめに苦しみ、学校に行くのが辛い。
学校に行きたくないと言って
親を困らせるのも心苦しい。
どこにも見返りを得ることが出来ず
生きていることが辛くなる子供がいます。

恋人に振られ、すべてを失った気分になり、
生きていても仕方がないと感じる人がいます。

長年、夢を追い求めてきたはいいが、
とうとうその夢が絶たれ、
生きていく希望を失った人がいます。

人は環境からしっかりと
見返りを受け取れないと
生きていくことが難しくなります。


生きる力は環境から
貰い受けるものです。

自分の内から
沸いて出てくるものではありません。

振り絞って頑張れば
生きる力が湧いてくるわけではありません。

学校や会社に行くのは当たり前。

当たり前のことができないと、
自分がいやになる。

しかし、見返りがなくなれば、
当たり前のこともできなくなります。

多く、人といったものが、
意思や根性、内なる力、気の持ちようで
何とでもなると勘違いしているようです。

しかし、それは大きな間違いです。

いくら気張っても、
いくら踏ん張っても、
環境を見過ごしていれば、
何の意味もありません。

現代人は生きる力が弱ってきているというのは、
環境からの見返りが十分ではないということです。

学校に行くにしても
会社に行くにしても
何をするにしても、
したらした分だけ、
そこに見返りを
受け取らなければならなりません。


自分の行動に十分に見返りがある人は、
人生が充実しています。

そんな人は、まず
「人はなぜ生きるのだろう」とは考えません。

生きる理由など考える必要がありません。

環境からの見返りこそが生きる理由だからです。


人はなぜ生きるのか?

そこにメリットがあるからです。


まとめ

人は環境からしっかりと
見返りを受け取れないと
生きていくことが難しくなります。

生きる力は環境から
貰い受けるものです。

自分の内から
沸いて出てくるものではありません。

振り絞って頑張れば
生きる力が湧いてくるわけではありません。


学校や会社に行くのは当たり前。

当たり前のことができないと、
自分がいやになる。

しかし、見返りがなくなれば、
当たり前のこともできなくなります。


人はなぜ生きるのか?


生きにくい社会

生きにくい社会
言葉でしか認識できないこともある。生きると言うことは死を待つということでもある。言葉を使わない思索はないのか。思いは言葉から生まれるのか。意識は魂のうわばみならば言葉は魂の言葉になりはしないか。
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豊かになればなるほど、
生きることが難しくなってきて
いないだろうか。

豊かになればなるほど、
そこから見返りが失われ、
生きることに見返りが
なくなってきている現実があります。


日本社会では
生きることそれ自体では
見返りを得ることは出来ません。

どこかに地雷が
しかけてあるわけではありません。

誰かに命を狙われているわけでもありません。

命の危険にさらされる環境に
生きているわけではありません。

そんな平和な中では
「今日一日無事でいてくれてよかった」と
感謝されることはありません。

生きて当たり前の環境にいます。

そのような環境では、
ただ生きているだけでは
意味がありません。

ここに一つ、生きる難しさがあります。


そして、苦労や困難までもが、
今の社会から取り除かれようとしています。

苦労をすることは敬遠され、
楽なほう楽なほうへと転がろうとする。

楽なことは見返りがあるのかといえば、
実はそうではありません。

苦労があって、楽なことは活きてきます。

苦労がなくなれば、楽なことは、
ただの退屈でしかありません。


何もしない、何もしないでいい。
お金もあれば時間もある。

ただ、息を吸って吐いていれば、
それで人生が送られる。

そんな環境になれば、
人はたちまち生きていけなくなります。


人は辛い思いをして、
一所懸命にやりぬくことで
達成感や充実感を覚えていきます。

しかし、世の中が進もうとする社会は、
そんな見返りを与えてくれる社会では
なさそうです。


車の中で座っていれば
勝手にコンピューターが
運転してくれる時代になるのは、
そう遠くはないようです。

今では車間距離は自動に保たれ、
走行車線に沿って勝手に運転してくれる。

車の運転にさほど注意を向ける必要は
なくなってきたのです。

部屋の中でも、エアコンをつければ
快適な温度、快適な湿度が保たれ、
空気までもが浄化される。

森林浴が部屋の中で
できてしまうというぐらいです。

熱くなればクーラーをつけ、
寒くなれば暖房をつける。

汗をかくことを嫌い、体臭を嫌う。

汗を抑えるスプレーなどと、
人間の根幹を否定しようとする
おかしな商品さえ出回っている始末。

汗だくになって遊んだあとに
シャワーを浴びる爽快感はどこへやら。

寒い中での温かいポタージュスープ格別です。

そんな気分を味わえなくなる環境を
作っているのです。


パソコンやゲームにしても、
ただ座って指を少し動かしているだけで、
現実には体験できない感動や興奮を与えてくれる。

わざわざ辛い思いをして
山登りをしようとは思わないだろう。

山登りなど何が楽しいのか
分からないという若者はたくさんいます。

そんな辛い思いをするよりも、
快適な家のなかでパソコンやゲームをして
バーチャルな世界を楽しむほうが
よっぽどラクで楽しいといいます。

苦労や苦痛を乗り越えることに
達成感や満足感を得ることは
生きる上で大事なことです。


豊かな社会は、
本当に人を豊かにしているのでしょうか。

残念ながらそうではなさそうです。

便利にはなったが、
そこから奪われているものが
実は人間が生きていく上で
大事なものばかりのようです。

不快、苦痛、苦労、
取り除きたいものは
山ほどあるでしょうが、
それがあるおかげで
人は生きていける事実があります。


苦労も何もしないで手に入れたもの、
ラクして手に入れたもの、
そんなものに価値を見出すことは
出来ないものです。

ギャンブルで儲けたお金は
湯水のごとく無駄遣いされます。

しかし、汗水たらして
やっと手にしたお金は
大切に使うものです。

当たり前のようにある食事や水に
感謝している人はほとんどいません。

しかし、腹ペコのときに食べる
あんぱんと牛乳は
贅沢を感じずにいられないものです。


苦労の影にメリットがある。

その事実を忘れないで欲しいですね。


苦労や困難もないそんな環境は、
退屈でしかないことを
認識しておくべきです。

今、豊かな社会を目指して
我々から奪っているものは、
生きる上で大切なものです。

楽な環境に生きていれば、
それだけ生きる力は弱くなっていきます。

見返りの少ない環境に
生きていることになるからです。

どこに見返りを求めればいいのか、
どこで生きる力を養えばいいのか、
新たな生き方が求められています。


まとめ
 
生きていて当たり前の環境では、
生きているだけでは意味がありません。

ここに一つ、生きる難しさがあります。


何もしない、何もしないでいい。
お金もあれば時間もある。

ただ、息を吸って吐いていれば、
それで人生が送られる。

そんな環境になれば、
人はたちまち生きていけなくなります。

苦労や困難もないそんな環境は、
退屈でしかないことを
認識しておくべきです。

今、豊かな社会を目指して
我々から奪っているものは、
生きるうえで大切なものです。

楽な環境に生きていれば、

ストレスをどう見るか

ストレスをどう見るか
意識を黙らせることは難しい。言葉がなければ思索できない。魂の認識を言語に置き換えたもが意識である。関ヶ原に雪がないように言葉がないと認識できないのか。魂が言葉を得たそこがすべての始まりである。環境と巡り合わせで決まる。このプログラムの選択権は自分にはない。
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人は、仲のいい友人であっても、
一緒にいるだけで
何らかのストレスを
感じているそうです。

自分の言ったことが
相手に伝わらなかったり、
自分の気持ちを抑えて、
相手に合わせようとしたり。

自分の思い通りにならないことで、
何らかのストレスを感じているそうです。

社会で生きている以上、ストレスは、
誰もが経験していることになりますね。

現代社会に起きている
人間関係の希薄化と
結び付いているのでしょうか。


それはさておき、
一般に、ストレスとは、
マイナス的要素に捉えられ、
人をうつ病など精神的な病に陥れる
厄介者として見られがちです。

しかし、ストレスの本性とは
そんな冷めたものではありません。

人が環境の中で生きていく上で、
大きな役割を果たし、
人の生存を助けてくれるものです。

というのは、ストレスは、
人が意味のない行動、
メリットのない行動を
とらないように仕向けてくれる
ありがたいものなのです。

デメリットを受けるものから
回避してくれる、
ありがたい存在なのです。

ストレスがあるおかげで、
人は自分に不利益な行動を
とらないで済むのです。


退屈な人と一緒に時間を過ごすことは
苦痛で、時間の無駄に感じるものです。

そういう時、ストレスが発生して
その行動を持続しないようにしてくれます。

嫌いな人と一緒にいるだけで
イライラしてストレスがたまります。

そのイライラのおかげで、
その後、その人と逢わないように
心がけようとします。

また、退屈な仕事、やりたくもない仕事、
そういった自分に不利益なところで
ストレスを覚え、その場面を回避しようとします。

自己防衛の手段として
ストレスは一役をかっているのです。


ストレスとは
自分の精神状態を壊そうとする
厄介者ではありません。

逆に、自分を守ろうとする
大事な存在なのです。

それが正しいストレスの捉え方です。

しかし、ストレスがあるからといって
避けていればいいというものではありません。

社会はそれを許してくれません。

本人とって、それが苦痛で、
行動を持続していくことが難しくても、
社会要請上、とるべき行動があります。

勉強、仕事、育児などがそうですね。

自分が思ったように
見返りが得られない時でも、
それを持続していかなければ
ならないときがあります。

ここが難しいところです。


そういう時は、
ストレスとうまく
付き合わないといけません。

勉強がはかどらないといって
投げ出すわけにもいきません。

仕事がうまくいかないといって
やめるわけにもいきません。

子育てにイライラするからといって
育児を放棄するわけにはいきません。

環境からの見返りが
十分に受け取れないとき。

自分の思っていることが
うまく運ばないとき。

そのような時、人は
ストレスを覚えるようにできています。

ならば、環境を整えるか、
もしくは、自分の思い上がった信念を変えるか、
どちらかで対処することが必要になってきます。


環境を整えるとは、
勉強で言うと、塾に通う、家庭教師を雇う、
などが挙げられます。

勉強そのものから
見返りを受けることが困難な場合、
周りから見返りを受けられるようにします。

仕事でも、仕事そのものから
見返りを受けることが出来ず、
ストレスがたまってくれば、
自分の好きなことをして
発散させてやるのです。

育児でいうなら、
周りに援助を求めるなどがあります。


自分自身を変えるというのは、
勉強でいうと、志望校を変えるなり、
目標設定を下げる。

仕事なら開き直るのも手です。

育児でも開き直ることが大事だといいます。

そうやって、本人に合った何らかの対処法で
ストレスとうまく関わることです。


ただ、知っておきたいのは、
ストレスとは
自分を滅ぼそうとするものではありません。

自分と環境との均衡が
保てていないことを教えてくれる、
「警報機」みたいなものです。

ストレスを感じたら
ストレスを厄介者として
追いやるのではなく、
ストレスを感じる環境や自分を
見直してみてください。


まとめ

ストレスとは
自分の精神状態を壊そうとする
厄介者ではありません。

逆に、自分を守ろうとする
大事な存在なのです。

自己防衛の手段として
ストレスは一役をかっているのです。

自分と環境との均衡が
保てていないことを教えてくれる、
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