2017年08月

夢を諦めるべきかどうかの判断の仕方

夢を諦めるべきかどうかの判断の仕方
意識と認識を介する言葉。意識を認識し言葉に置き換えると共有が可能となります。意識とは自分の存在に気づくこと、理解定義するには言葉が不可欠、意識とカオスを定義するには言葉足らずになります。関係する言葉の収集定義、意識関係図作成、何を書くか決めないと物書きは進まないし書くためにはネタがいります。取材か思索か、そして構想、手順からいうと構想が先でありその先に着想があります。着想から構想までできれば道半ばと言うところだと思います。まずは着想、多くのアイデア、切り口が重要です。意図すれば選択が変わり選択すると行動が変わります。
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司法試験を目指して
8年近く勉強を続けているが、
いまだ合格できないでいる。

30を過ぎて、
現実問題、
このまま勉強を
続けていってもいいのものだろうか。

ふん切りをつけて、
新たな道を探るべきなのか。

かといって、
この歳になって
新たな道を探すもの
酷なものである。


夢を追いかけるのはいいが、
その夢が実現するかどうかは
実際のところ分からない。

いくら頑張ったところで
何の成果も現れることなく
終えることもある。

それが夢の難しいところ。

なかなか結果の出ないとき、
自分に判断が迫られる。

このまま続けていいものかどうか。

いったん始めれば、
最後までやりぬくことが美徳。

しかし、いさぎよく
方向を変えることも
時には必要である。

その判断は
どこですればいいのだろうか。

自分の気持ちしだいで
いいのだろうか。

まだまだやる気があるなら
続けていけばいい。

逆に、やる気がうせているなら,
いさぎよくあきらめればいい。

そう考えていませんか?

残念ながら
そんな判断をしてもらっては
困ります。

そのように
自分の気持ちに任せていれば、
夢は本当の夢に終わってしまいます。

我々が問うべきところは、
やる気ではありません。

環境です。


人の気持ちは、
環境からの見返りによって
大きく左右されます。

司法試験に何度も落ち続ければ、
普通なら嫌になるのは当たり前です。

しかし、それでも
持続していくことができるのは、
やる気があるからでしょうか?

弁護士になりたいといった
強い気持ちがあるからでしょうか?

いいえ、違います。

環境が大きな支えになっているからです。


大学入試で現役合格できずに
一浪、二浪することはよくあることです。

しかし、三浪は少ない。
医学部ならまだ多いかもしれませんが、
ほとんどが二浪までです。

それ以上になると、
めっきりと減ります。

これはなぜでしょうか?

三浪になると
やる気がうせるからでしょうか?

そうじゃないですよね。

そこには、
社会の見方が大きく関わっています。

一浪、二浪なら
社会通念で許せる範囲にあります。

しかし、それ以上になると、
社会の目は厳しくなります。

そこが自分の気持ちを
大きく左右するところです。

社会の目といったデメリットが
やる気を失せさせるのです。

医学部なら三浪でも頑張れるのは、
医学部といったブランド?が
世間の目を和らげてくれるためです。

司法試験が
何年かかっても許されるのも同じ、
環境がそれを許してくれるからです。

同じような人が周りにたくさんいるからです。


もし、何かを目指していて、
途中で投げ出したい気持ちになることがあれば、
疑うところは一つ。

気持ちではありませんよ。

環境です。


まずは自分の環境に目を向けてみること。

自分の気持ちは
環境によって大きく動きます。

今の環境では
自分を諦めさせる方向にしか
向かないかもしれません。

しかし、別の新たな環境では
自分を鼓舞してくれるかもしれません。


フリーターを続けながら
夢を追い求めることは
日本では無理であっても、
海外でなら何の気兼ねもせずに
頑張れることは多いと聞きます。

また、そういう仲間とも
出会う機会が増えるからでしょう。


社会にはある年齢になれば、
こうするといった社会要請があります。

30歳にもなって
フリーター生活を
続けていくわけにはいきません。

夢を追いかけても
見返りがない。

そうなると人は
夢を追いかけることが
出来なくなります。


しかし、ここに
同じような境遇にいる仲間が
いればどうでしょう。

同じように夢を追いかけ
日々がんばっている仲間が
そばにいてくれると
気持ちは大きく変わってきます。


司法試験でも何でも、
何かを目指していて
自分に迷いが生じた場合、
自分の気持ちを疑う前に
まず環境を疑ってみることです。

周りを見渡してみて、
そこには自分と同じ目的を持った
仲間がいるだろうか。

型どおりの価値観しか
持たない連中と一緒にいれば、
型どおりの生き方しかできないものです。


そこにはしっかりとした見返りがあるように
工夫されているだろうか。

自分ひとりでは限界があります。

周りからの叱咤激励が大きな見返りを生みます。

友人同士、仲間同士
競い合うことも
大きなメリットになります。


そこは自分のレベルに
合った環境だろうか。

その環境では
頭打ちしていることはないだろうか。


才能や能力が足りないと
自分に言い訳しながら、
実は環境の不備に気付いていない。

そんな人がたくさんいます。

教育ママがいる家で、
お笑いタレントになりたいと言っても
それは厳しいことです。

見返りのない環境で
自分を打ち込ませることは
ストレスを生むだけです。


環境を変えることもできず、
自分の気持ちも萎えたなら、
そのときがあきらめ時です。


まとめ

才能や能力が足りないと
自分に言い訳しながら、
実は環境の不備に気付いていない。


見返りのない環境で
自分を打ち込ませることは
ストレスを生むだけです。

環境を変えることもできず、
自分の気持ちも萎えたなら、

行動を起こすときに大事なこと

行動を起こすときに大事なこと
執筆には全体構想が必要、誰に何を言いたいのか何を伝えたいのか、ターゲット設定、自分の覚え書きなのか、書く目的を明確意識して考えるうぷにすることが重要です。自分の切り口、期限を切った執筆依頼は能力を高めることができます。執筆はところてん、絡み合う黄色い蝶を見ていたのは間在意識、意識はしていない半言語が乱れ飛ぶ、意識の成長としての今を書く、短くてもよい文はつながるものです。思考とはカオスのあわぶくでです、意識としてあるのではなくあわぶくの認識、奇跡の中に生かされて感謝、日々の驚きおかげ、思考は言葉を伴う思考の定着は言葉を介する必要があります。
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何かをやりたいと
いつも思いながらも
できない人がいます。

かといって、
自然に何も思わなくても
できている人もいます。

この違いを生むものは
何だと思いますか?


我々がよくすることに、
頭で考えて行動しようとすることが
言えます。

何かを始めるときに、
まず自分に「やる気」を確かめたり、
できるかできないかを計算をしてみたり。

「できるかできないか、
やる気があるかないか、
自信があるかないか、」
そう自分に自問しているものです。

しかし
すべてはやる前から
決めることじゃありません。

そんなこだと何もできなくなります。


何かを始めようとするときに大事なこと、
それは自分に気持ちを確かめる前に、
まずは行動を起こすことです。

自分に気持ちを確かめて行動していれば、
気が沈んでいたり、自信がなかったり、
気が進まないときは
何もできないのは当然です。

       --------          --------

そもそも、
我々は勘違いしていることがあります。

やる気が無いからやらない。
自信がないからできない。
そう考えていなませんか?


「卵が先か鶏が先か」
という問題と同じように、
人においても
「思考が先か行動が先か」
という問題があります。

しかし、
「鶏と卵」の問題とは違って、
「行動と思考」の問題の場合は
明らかに行動が先なのです。


生まれたての赤ん坊が
頭で考えて行動していると思いますか?

赤ん坊は原始反射といった行動をもとに
環境との関わりを持ち始めます。

町で元気に遊ぶ子供たちを見て、
頭で考えて行動していると思いますか?

子供たちは意のまま、思いつくまま、
行き当たりばったりの
行動を繰り返しています。

いつしか、周りの大人たちに
物事を先に判断して
行動することを教わり、
何をするにおいても
思考を先行させて
行動するようになります。

しかし、本来は
行動が先に来るもです。


何かを始めるときに
自信がないと言う人がいます。

自信といったものが
勝手に備わっているものと
思っているのでしょうか。

自信とは
いろんな経験を通して、
環境からたくさんメリットを
受けてってきた結果
備わるものです。

つまりは成功体験です。

失敗ばかりしてきた人が、
自信がないのは当たり前。

失敗ばかりを経験してきた人は、
メリットがないために
行動を起こしにくくなってます。

人間摂理として当然ですね。

その状態を自信がないという言葉で
表したに過ぎません。

しかし、行動を起こさないことには
いつまでたっても自信は湧いてきません。


そして、何もやってこなかった人に
自信がないというのも当たり前の話です。

やる前から自信を求めても
あるわけがありません。

やって見返りがあって
初めて自信は備わるものです。


やる気がないという人も
同じです。

やる気とは
勝手に生まれてくるものではありません。


今まで環境から
たくさんメリットを
受けてきた人なら
やる気は自然と
備わっているものです。

しかし失敗経験の多い人は
必然的にやる気が薄くなっています。


大事なことは
やる気がないからといって、
「できない」と考えないことです。

やる気がないからといって
「やりたくない」と思わないことです。

そう思ってしまうのは
今までの環境から見返りを
受けてこなかっただけのこと。

これからの環境では
どうなるか分かりません。


今ある「やる気のない」感情は、
過去に見返りがないために
学習された感情です。

できないと思うのは、
過去に縛られた自分がいるため。

ただ、それだけです。

実際にできないわけではありません。


やる前からやる気が無い、
できないというのは
言い訳にはなりません。


我々は今まで何かを始めるときに
自分の内なる声に従い行動してきたはず。

自分の気持ちが行動より先に
大事にされてきました。

しかし、実際のところ、
人は行動こそが大事にされるべきです。

なぜなら、今の自分の気持ちを
大事にすることは、
それは過去に学習してきた経験を
大事にしているに過ぎないからです。

過去に培った経験が
今の自分の感情を作っています。

過去に素晴らしい実績のある方なら、
それを大事にしてくださればいいのですが

過去にあまり成功体験がなければ、
やる気が起きない、自信がない
そういう気持ちになってしまいます。

それでは何も出来ない人間に
なってしまいます。

できるものもできなくなってしまう。

自分に自信があるかないか、
やる気があるかないかは
問題ではありません。

楽しいか楽しくないかは
やってみてはじめてわかるものです。

頭で考えるのではなく、
まずは行動を起こすことです。

はじめの一歩を踏み出すことです。
後は環境が勝手に決めてくれます。

まずは、靴紐を結ぶだけでも始めてみましょう。


(ちょっと補足)

やる気を出す手っ取り早い方法は、
そこにメリットを見つけること。 


まとめ
 
今ある「やる気のない」感情は、
過去に見返りがなかったために
学習された感情です。

できないと思うのは、
過去に縛られた自分がいるため。

ただ、それだけです。

実際にできないわけではありません。


やる前からやる気が無い、
できないというのは
言い訳にはなりません。


人は思考よりも行動こそが
大事にされるべきです。

頭で考えるのではなく、
まずは行動を起こすことです。

税金が無駄に使われる理由

税金が無駄に使われる理由
驚きを見つける技術、詩人の心、謙虚さ、感謝の心、小さな発見、奇跡の気づき、宿りもん、借り物の肉体に間借り、物理的にはその辺の機械のように同じものでありません。例えば3ヶ月前の自分とは物理的には同じものではないですね。しかし今生で乗り換えは叶わないのがルールです。この肉体を自分で好き好んで選んだかどうか身に覚えのある人はいないでしょう。故に悩みは深いと言わざるを得ないようです。来世は誰も知ることはないし前世も記憶になくて当然というのはゲームとして妥当であると言うべきです。いらぬ腹立苦をすなよと申し上げておきます。頭の中、意識の内では様々なことを釣瓶式に思い出しその都度腹立ちを覚えるということがあります。すでに過去の体験で考えるとはカオスから言葉をくみ出すこと、カオスを意識的にかき回すことで思考を活性化できるのです。カオスの中の渦巻き部分に焦点を当て連想をつなげていくことで新発想思いつき漏れをなくすことができます。オリジナリティは無意識のカオスから生まれるのです。
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本日、高額納税者上位100人が発表されました。

それにちなんで、税金に関する問題です。


国民がちょっとでも申告ミスをすれば、
やれ脱税だと大騒ぎするくせに、
その大事な税金を使うとなれば、
これが酷いものです。

搾り取れるものは
きっちり根こそぎとって、
奪い取ってしまえば
あとは好き勝手に使う。

それが今のお国の姿でしょうか。


雇用保険を見てみれば、
失業者の増加で財源が
底をつきそうだと言います。

しかし、本当に失業者の増加が
財源を賄えない原因でしょうか。

むしり取ってきた税金で
採算性のない公共施設を
わんさか作ってきたためでは?

1700億円以上の税金をかけて
日本全国に作った公共施設。

採算が合わないからと
売却するのはいいが、
返還率0,4%と
たったの7億円です。

その事実はどこへやら。

失業者の増加が原因ではなく、
お役人自らが招いた
無駄遣いが原因ではないでしょうか。

その事実は棚上げして
責任転嫁とはご立派なことです。

毎月、きっちり
支払ってきたにもかかわらず
失業保険を6ヶ月で打ち切られ、
身を削る思いで
生活をしている人がいます。

方や、
「予算は使い切れ!」の鉄則をもとに、
搾り取った税金で
自分の身銭だと
考えられない使い方をしている。

綱紀粛正と言いながら
何も変わっていない。

会計検査院があっても
一向に無駄がやむ気配はない。

逆に、会計検査院が各省庁に
裏金を要求している始末?

何を信じればいいのかさっぱりです。



これは何もお役人に
限ったことではありません。

会社の経費だと思えば
何食わぬ顔で無駄遣いをする。

会社のパソコンで
エロサイトや出会い系サイトを
楽しんでいる人はかなりいるはず。

営業車を自分の足代わりにしている人も多くいる。

経費で落とせるからといって
夜の街でお姉ちゃんたちと
楽しんでいる人はたくさんいる。

経費で落とせるとなると
身銭では考えられないようなことをする人は
少なくない。


さてさて、そんな人達が
無駄遣いをしてしまうのは
どうしてか。

金銭感覚がおかしいからだろうか。

いいえ、そんなことはありません。
自分のお金に関しては、
ケチの2文字が似合うほど
きっちりした人たちです。

そんな人がどうして
無駄遣いをしてしまうのでしょう。


答は2つ。

それは自分の腹が痛まないから。
デメリットがない。

もうひとつは、
切り詰めたところで
自分には何の見返りがない。
メリットがない。


これは人間の行動哲学からすれば
当然です。

税金を無駄なく使ったところで
誰かに褒められるわけではない。


常識や当たり前の考え方は、
それ単体だけでは
人に望ましい行動を
維持させる力にはなりません。

その思想を後押ししてくれる
環境がなければ、効果はありません。

自分の周りに褒めてくれたり、
認めてくれたりする人がいなければ
効果はありません。


税金とて同じです。
節税したところで、
浮いた分で温泉旅行に
いけるわけではありません。

逆に、予算を使い切らなければ、
上から何を言われるか分からない。

それに、無駄遣いをして
財政が苦しくなっても
自分たちには関係ない。

手にするお給料は一緒です。

国がどこからか
税金を巻き上げさえすれば
それで済む問題です。

それよりも、
身銭では出来ないようなことを、
税金を使って楽しめるのだから
やめられない。


税金を無駄なく使ってもらうためには、
それなりの環境を整えなくてはならない。

役人に理性やモラルを訴えかけても
馬鹿を見るのは国民です。


ならばどうするか。
そこにメリット・デメリットを
与えてやらなければならない。

公務員だから
国のため国民の利益のために
行動するのは当然だという考えは
捨てなければいけません。

公務員とて人間、
メリット・デメリットで動いています。

公務員の方々に綱紀粛正を望むなら、
そこにメリット・デメリットを
与えなくてはなりません。

それも、細やかな、
個人に帰する見返りを
作るのが大切です。

そのために、まず、
公務員の方々が
税金を無駄遣いしなくなる案を
一般公募すること。

その案が採用されれば、
謝礼100万円。

国はまず、そういった姿勢を
見せてほしいものです。


まとめ
 
無駄遣いをしてしまうのは
自分の腹が痛まないから。

切り詰めたところで
自分には何の見返りもないから。


常識や当たり前の考え方は、
それ単体だけでは
人に望ましい行動を
維持させる力にはなりません。

その思想を後押ししてくれる
環境がなければ、効果はありません。

自分の周りに褒めてくれたり、
認めてくれたりする人がいなければ

動機を理由に人を見てはならない

動機を理由に人を見てはならない。
我が世に身をおく身、悟りはいらぬこの身に起こることはこの身で感じとればよいのです。痛いのがなくなったらおかげ、苦しみが軽くなったらおかげ、しかしこの身の痛みも苦しみも辛いことです。我が世に身をおく身として悟りは遥か先に置いておけばよい。思いの重ね着、人は思い直すことができます。悪しき出来事もこれくらいで済んでよかったと想うことができます。思いは心の持ちようで重ね着する事ができます。これもまたおかげ、気が付くかどうかです。
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日本史上、類を見ないテロ事件が起きました。

地下鉄サリン事件です。

その首謀者である松本千津夫被告の
論告求刑が行われ、
検察側より死刑が求刑されました。

当然といえば当然です。

問題はそこからです。

その犯行の動機は
「権勢欲と支配欲」
だというのです。


厳正かつ慎重に扱われるべき
裁判の席でも、心といった
得体の知れないもので
人の行動を理解しようとしています。

残念なことです。

人の行動を動機といった
曖昧なもので捉えても、
何の解決にもならないことに
気付いてもらいたい。


同じ権勢欲や支配欲を持った人が、
松本千津夫被告のように
テロを行うとは限りません。

立派と政治家になり
内閣総理大臣にまで
成り上がるかもしれません。


同じ欲求を持ったとしても
その人の生きる環境によって
起こされる行動は変わってきます。

       --------          --------

社会では、
何かとその人の動機に注目します。

なぜ犯行に及んだのか。
どうしてそのようなことができたのか。

動機を耳にして
納得したつもりになっています。


虐待により命を奪われた子供がいます。

その虐待を行った親の動機は
「言うことを聞かなかったから」です。

それで周りは納得したのでしょうか?

それで納得していいのでしょうか?

「言うことを聞かない」「腹が立つ」
同じ気持ちの親はいくらでもいるでしょう。

虐待を行ったその人物は
特別だからとでも言うのでしょうか。

動機を見ても何の解決にもなりません。


動機が本当に人に犯行を起こさせるのなら、
同じ気持ちを持った人はどうなるのでしょうか。

「遊ぶお金が欲しかった」
「消費者金融から300万の借金があった」
「腹が立った」「むかついた」「生意気だった」

どれもこれも、
その人の気持ちを述べているだけ。

同じ気持ちを持った人は
いくらでもいます。

消費者金融で借金がある人など
膨大な人数です。

200万円や300万円の
借金どころではない人もたくさんいます。

しかし、全員が同じ行動を
起こすわけではありません。

内面的なものが
人の行動の理由にならないのは
そのためです。


動機といったもので
人を捉え理解しているうちは、
犯罪はおろか、社会の多くの問題は
一向に解決されません。

同じことがいつまでも
繰り返されることになります。

まして、そこで用いられた動機は、
人として持ってはいけないような
気持ちにさせます。


権勢欲や支配欲が
テロの動機として認知されれば、
権勢欲や支配欲を持つことが
悪いことのような
錯覚を起こしかねません。

「腹が立ったから」
「子供が言うことを聞かなかったから」
それで納得してしまえば、
子供に対して
腹を立ててはいけないものだと
感じるようになります。

「お金が欲しい」という思いが
犯罪の動機として捉えられれば、
お金が欲しいという欲求が
悪いことのように思えてしまう。


動機は誰にでもある感情。

実際に行動に移すかどうかは、
別問題です。

同じ気持ちを持っても、
その人が環境から受ける見返り、
つまり、メリット・デメリットによって
行動は変わってきます。

環境の違いが人の行動の違いを生みます。

環境を見なければ話になりません。

行動を起こした環境を捉えて、
その環境を作らないように
努めていかなければなりません。


動機で人を捉えているうちは、
犯罪はなくなりません。

動機で人を見ているうちは、
同じことが繰り返されます。

動機は誰にでもある感情。
犯罪が起こされるかどうかは
環境しだいである。

  
まとめ

動機は誰にでもある感情。

実際に行動に移すかどうかは、
別問題です。

同じ気持ちを持っても、
その人が環境から受ける見返り、
つまり、メリット・デメリットによって
行動は変わってきます。

環境の違いが人の行動の違いを生みます。


動機で人を見ているうちは、

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