2017年07月

ひったくりが流行る理由

ひったくりが流行る理由
私たちは皆、“心”を持っていると信じています。行動を起こす前提として自分というものがありその意志と欲求に基づき行動を選択していると思っています。ところが他の動物との決定的な違いとして人間の理性や自由意志を考えてみると、昨今の脳科学では行動の後付けであるとわかってきました。自由意志が先にあるわけではなく、行動を選択した理由を後付けで納得させる仕組みになっているのです。驚くべきことではありますが、人の行動にはそれをさせる法則があり、自分の意思ではなく無意識のうちに行動の法則に従い選択しているのです。

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「遊ぶ金が欲しかった」
少年達は口をそろえて、そういいます。

大阪の町でひっきりなしに
繰り広げられているひったくり。

若者だけに限らず、
40,50を過ぎたおっちゃんまでも
原付に乗ってひったくりを繰り返しています。

「お金が欲しい」というのは、
お金に困っている人だけに限らず、
ゆとりのある人でも思うことです。

お金が欲しいからひったくりをした?

それなら、世の中の9割の人は
ひったくりの常習犯になります。


しかし、実際はそんなことはありません。

動機といったあやふやなもので
人の行動を捉えてはいけません。

ならば、どうして、
ひったくりをするのでしょうか?


簡単に何でも手に入る世の中だけに、
心が貧しくなり、
その代償に犯罪が繰り広げられている?

いえいえ
そんな誰かの受け売りで
人を見てもらっては困ります。


犯罪には激情犯と計画犯があるといわれます。

激情犯は、後先のことなど考えられず、
カーっとなって罪を犯してしまう。

なんとなくだが分かる気がします。

しかし、
お金が欲しいからひったくりをした。

借金があったから強盗をした。

そんな短絡的な行動を
どうして取れるのでしょうか。

計画犯となると理解に苦しみます。


しかし、これもしっかり理解できます。

それは、その行動により
大きなメリットが得られるからです。

お金を得ることが出来るのです。

それも、短時間で簡単に。

そして、大事なのが、
実際に罪を犯す人というのは、
その行動を抑制するデメリットが
一般の方より小さいのです。

仮に捕まっても、
その人たちにとっては、
一般の人が思うほどの罰には相当しない。

失うものは他にはない。

築き上げてきたものも目標もない。

今が苦しい。

捕まる可能性も低い。

そうなると、
犯罪に手を染めてしまうのも
理解できないことではありません。

また、一度ひったくりで成功すれば、
その行動の生起頻度は上がり、
繰り返されることになります。

ひったくりが流行るわけです。


馬鹿だから、教養がないから
短絡的な行動を起こすのではありません。

現に、教養ある?はずのエリート方も
計画的犯罪を繰り広げています。

政治家や警察官の汚職。

大手食品会社の不正受給。

巨大組織が不正を働いたのはなぜでしょう。

用意周到に隠ぺい工作までしてくれる。

人が理性で生きているなら、
エリート達は理性がないのだろうか?


自分の行動を統制するに当たり、
頭の良し悪しは関係ありません。

本人にとって
そうすることに大きなメリットがあり、
罰を受ける確率が低い場合、
人はメリットのある行動を選びます。

また、一人では出来ないことでも
集団だと違ってきます。

集団だと、「自分ひとり」といった
心細さや不安が緩和され
デメリットが小さくなってしまう。

集団心理により
犯罪が起こされやすくなります。


普段、人は頭で考えて
生きているわけではありません。

規範意識や道徳心に訴えかけても
効果は期待できません。

犯罪を起こしてしまうのは、
それだけの環境が整っているからです。

短絡的な行動をとらせないためには、
その人の環境ににしっかりと
メリットとデメリットを
おかなければなりません。

ひったくりをする若者には、
建設的な目標を持たすこと。

それが行動抑制につながります。

そして何より、
犯罪は検挙率を上げることが大事です。

頻繁に見られる犯罪は
捕まる率がそれだけ低いからだと言えます。


まとめ
  
犯罪を起こしてしまうのは、
それだけの環境が整っているからです。

実際に罪を犯す人というのは、
その行動を抑制するデメリットが
一般の方より小さい。

または、捕まる率が

ハイリスクの低リターン

ハイリスクの低リターン
応用行動分析学の第一人者である杉山尚子氏は、ヒトの行動の思いがけない理由「行動分析学入門」集英社新書の中で『失敗行動や犯罪の原因は、“心”に求められることが多いが、これでは評価にこそなりえても、問題解決にはつながらない。』と書いています。微妙な意味で罪を憎んで人を憎まずとは異なる概念である。人は生まれてから死ぬまで選択を繰り返します。自分の意思で選択したつもりであっても、よく考えれば過去の選択の結果が今の選択を決めていることが自明の理です。とすれば“心”とは何か、選択とは何か、行動分析学はヒントはくれますが回答は提示しません。

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大きなリスクを負いながらも
人に行動を起こさせるものがあります。

痴漢、ひったくり、援助交際。

ちまたで話題の犯罪は
大きなリスクがありながらも、
多くの人に大人気です。

痴漢で捕まるサラリーマンや、
現役警察官は後を絶ちません。

痴漢なんて低リターンです。

少し我慢して
電車にゆられていればいいものを、
どうしてリスクを犯してまで
手を出してしまうのでしょうか。


援助交際にしてもそうです。

お金を払ってまで
リスクを買わなくても
いいと思うのですが。

そこらに風俗店があるのだから
コスプレを頼めばいいのです。笑

やはり女子高生といった
ブランドがいいのでしょうか。


首を傾げたくなるその行動にも
ちゃんと理由があります。

罰の効果を見なければなりません。

確立の低い罰は
人の行動は抑制しにくい。
鉄則です。

行動を起こしたからといって
必ず罰があるとは限りません。

そうなると、その行動は制御されにくい。

痴漢をしたからといって
必ず捕まるわけではない。

ほとんど捕まらないのが現状です。

痴漢をしているのか、
お尻に手があたっているだけなのか、
微妙なタッチで痴漢をする。

それをとがめても
自分の勘違いで終われば
恥ずかしい思いをする。

注意するのも勇気がいります。

そんな状況が
馬鹿を野放しにしてまう。

捕まるのは
痴漢をした相手が
たまたま現役警察官だった。

警察が張り込んでいた。

それぐらい率が低いものです。

その程度の確立では
痴漢をするときの興奮を
抑えることはできないのでしょう。


援助交際にしても
十中八九は捕まりません。

運悪く、
援助した子が家出少女で
補導されてしまった。

どうやって生活していたのかを
問いただされ、
援助交際が発覚。

連絡先の付く相手が割り出される。

そして逮捕へ。

それぐらい率が低いものです。

それでは、
若い子に相手にされなくなったおじ様が、
ぴちぴちの女の子の肌に触れたい気持ちを
抑制することは難しい。

いくら、そこに罰があるとしても、
その罰を受ける確立が低い場合、
メリットのある行動が
起こされてしまう。

行動の直後に
メリットが得られるとなると、
行動は起こされやすい。


これが、
罰の確率が上がれば違ってきます。

痴漢をすれば十中八九捕まる。

女性が臆せず
痴漢相手に立ち向かうことが
できる環境になれば、
痴漢は確実に減るでしょう。


援助交際にしても、
捕まる率が高まれば、
援助をするおじ様は減る。

援助交際を誘うだけで犯罪になり、
誘われた本人が警察へ通報。

逮捕につながれば、
謝礼に1万円もらえる。

そんなことにでもなれば
援助交際はかなり減るに違いない。


馬鹿な大人を
これ以上出さないためにも、
環境を整え、
罰を受ける確立を上げたいものです。


痴漢防止に
女性専用車両ができましたね。
これは罰を用いないで
痴漢をなくす理想的な方法です。

一番いいのは、
このように罰を用いないでもいい環境を
作ることにあるのですが。

これが一筋縄では行かないのが社会です。


まとめ

いくら、そこに罰があるとしても、
その罰を受ける確立が低い場合、
メリットのある行動が
起こされてしまう。

行動の直後に
メリットが得られるとなると、

確率の低い罰は効果が薄い

確率の低い罰は効果が薄い。
おかげという言葉があります。お陰様でとは人に感謝を伝えるときによく使いいます。とてもいい言葉だと思います。お陰様で無事に生かしていただいているという感謝、健康で暮らせることの何よりの感謝が大事です。大事なく家族が無事に暮らせるほどありがたいことはありません。そこにお陰の本質があります。不平不満の日々よりも今あるものに満足し、家族の今の健康に感謝すると偉大な力は大きな平和と喜びを連れてきます。

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罪を犯せば罰を受けなければならないし、
責任も取らなければなりません。

それがどれほど大変なことかを
よく知らなくても、
誰もわざわざ好んで罪を犯そうとはしません。

しかし、世の中には罪を犯す人がいます。
罰があるのにどうして罪を犯すのでしょうか。

ここに罰の限界が隠されています。


罰は人の行動を抑制する効果があります。
しかし、行動そのものをなくす効果はありません。

それはどういうことかというと、
罰によって抑制されている行動は
罰がなくなれば再発するということです。

罰のない場所では
望ましくない行動は
繰り返されます。

罰は、罰する人間がその場にいて
はじめて意味があります。


多くの人に経験があると思いますが、
シートベルトの非着用。

シートベルトをしなければ罰があります。
減点です。

免許を持っている人なら
誰でも知っていること。

最近ではようやく
シートベルトの着用率が
上がってきましたが、
まだ完全とまではいきません。

罰があるのに
どうしてシートベルトをしないのか。

それは罰が常にあるとは限らないからです。

罰はその場になければ効果はありません。

確率性の低い罰は、
行動を抑制しにくいのです。


シートベルトを締めていなくても
常に罰があるわけではありません。

街中を走っていても
めったに罰を受けることはりません。

検問のときに
気をつければいいぐらいです。

しかし、検問に出くわす確率は低い。

ごくたまに出くわすぐらいです。

それでは煩わしいシートベルトを
締めようとは思わないものです。


では、シートベルトをしていなければ
常に罰があるとすれば人はどうなるか。

そこらで検問がはられており、
捕まる可能性が高ければ
シートベルトを締める人の割合は
格段高くなるはずです。

また、罰ではありませんが
シートベルトをしていないために
事故で命を落とすことがあります。

これは大きなデメリットです。

シートベルトは
これほど大きなデメリットから
逃れられるのだから、
シートベルトを締めるといった行動は
メリットで維持されていいはずです。

しかし、それでも
シートベルトをしないのはなぜでしょう。

そこに人が死を求める
本能的動機が隠されているからでしょうか。

死への願望「タナトゥス」があるのでしょうか。

まさか!
そんなものはありません。

これも確率の問題です。

事故といったデメリットは
常にあるわけではありません。

これがもし、サーキット場で
スピードの限界に挑戦しようとすれば、
誰もがシートベルトを締めるでしょう。

シートベルトだけでなく
ヘルメットまでかぶるに違いありません。

事故を起こす可能性が格段高くなるからです。


罰を用いて
行動を統制しようとすることは簡単です。

しかし、そこには
限界があることを知っておきたい。

まず、一つに確率の問題です。

もう一つに、それは次回で。



確率の低い罰は、その行動を制御しにくい。

まず、一つ覚えておいてくださいね。


ん?刑法犯の検挙率が下がっています。
どうりで犯罪が増えるわけですね。


まとめ

罰は人の行動を抑制する効果があります。
しかし、行動そのものをなくす効果はありません。

罰によって抑制されている行動は
罰がなくなれば再発するということです。

罰はその場になければ効果はありません。

罰のない場所では
望ましくない行動は
繰り返されます。

確率性の低い罰は、
行動を抑制しにくいのです。






からの引用です。

罰の限界

罰の限限界
起こることすべてに意味がある。よいことも悪いこともすべては関連し意味がある。今はよいことに思えても、それは本当によいことかどうかわからないものだ。人間万事塞翁が馬である。それほど人生はシンプルではないが、かといって理解できないほど複雑にできているわけでもない。理解できないことは基本的に存在しないというのが人生である。
dシンプルではなCIMG2347いが
リスクを負いながらも、
その人に行動を起こさせるのは、
リスクを負う確率が低いからです。

しかし、それだけではありません。
罰の限界はまだあります。


一つに、確実に罰があるからといっても、
その人に行動を起こさせることがあります。

それは、罰を受けるデメリットよりも、
その行動を起こすことで得られるメリットの方が
大きい場合です。

罰を承知で行動を起こす、というものです。

やくざが報復といって
敵対する組の人間を射殺する。

それは、組のためであり、
そうすることが本人にとって
大きなメリットを生むからです。

罰を受けなくてはならないことも承知です。


その罰では効果がないなら、
更なる罰が必要になってきます。

罰があるのに犯罪が耐えないのは、
一つに罰が軽いということが言えます。


飲酒運転の罰則が先ほど厳しくなりました。
今までなら、少々飲んでも
基準に引っかかることはなかったのが、
少し飲むだけで赤切符。

それも罰金数十万円です。

これにはさすがに
多くの人がひるんだようです。

しかし、おかけで
飲酒運転の検挙者数は
激減したとのこと。

多くの人にとって、
今まで罰ではなかったものが、
こればかりは罰となったようですね。


二つに、罰は罰から逃れる行動を生みます。

罪を犯し罰があるとしても、
人はその罰から逃れる手段を編み出します。

これは人だけではありません。
動物とて同じです。

室内で子犬を飼ったことがある人なら
分かると思いますが、
子犬にトイレの場所を覚えさすとき、
トイレ以外の場所で
子犬が粗相をしてしまったとき
叱ったことがあるはずです。

そうすると、子犬はどうしたでしょう。
罰から逃れる行動をとっていませんでしたか。

隠れておしっこをするようになるのです。
飼い主が見ている前では
おしっこをしなくなるのです。

人も同じで、罰があると
それから回避しようとします。


生ビールを3杯飲んだあと、
帰りの道中で検問をやっていると
知らせが入りました。

さて、どうしますか。

おろらく、全員、その道を回避して、
遠回りしてでも別の道から帰るはずです。


駐車違反でステッカーが貼られていました。
さてどうしますか。

「車を貸していた」といって
言い逃れをしませんでしたか?

人は何とか罰から逃れようとします。


三つに、罰は人それぞれ違いがあります。

罰といっても、
メリット・デメリットと同じ
人によっては罰であったり、
逆にメリットにもなったりします。


小学校のクラスで
生徒が授業中に他の生徒と話をしたり、
歩き回ったりするとのこと。

それを先生が叱ります。
普通なら、その行動はおさまるはず。

しかし、最近の子供は
言うことを聞かないのです。

大人が弱くなったのか、
先生の立場が弱くなったのか、
先生に叱られても、怖くない、何ともない、
そう思う生徒が多いようです。

それでは罰にはなりません。

それに、叱られるといった行為は、
生徒にとって授業を受けずに済む
といったメリットを生むのです。

それに、叱られるというのは、
社会的注目を受けます。

叱られることで注目され
人気が出るということが
集団生活の場では見られます。

そうなると、叱られることは
もはや罰ではなくメリットになります。


また、ある人によっては
罰が罰でないときがあります。

刑務所とは罪を犯した人が
罰として労役にいそしむ場所です。

刑務所の存在は罰とされています。

しかし、刑務所の暮らしがいいといって
わざわざ罪を犯す人がいるのです。

表社会に身よりもなく、
孤独な生活を送らなければならない人にとって、
刑務所は罰ではなくなるのかもしれません。

刑務所だと決まった食事にありつける。
布団もあります。
毎日ではないがお風呂にも入れます。

公園で過酷な生活をするより
刑務所を選ぶ人がいてもおかしくはありません。


本来、人に望ましくない行動を
とらせないために罰を用いるのですが、
その罰の用法には限界があります。

いくら罰を用いても、
そこに抜け道があれば
人はそこをかいくぐろうとします。
子犬でも知っていることです。

賢い人間がたくさんいるなら、
罰で人の行動を制御しようとせず、
メリットを用いて
望ましい行動を維持させることに
頭を使いたいものです。

罰を用いなくてもいい環境を
作ることが理想ですね。

しかし、罰で人を制御する方が簡単です。

簡単であるというメリットがあるだけに、
罰で人を制御しようとする行動が維持されている。
ここも難しい問題ですね。



まとめ

罰を受けるデメリットよりも、
その行動を起こすことで
得られるメリットの方が大きい場合、
人は罰を承知で行動を起こします。

罰といっても、
メリット・デメリットと同じ
人によっては罰であったり、
逆にメリットにもなったりします。

いくら罰を用いても、
そこに抜け道があれば

恋を長く続かせるには

恋を長く続かせるには
神様がいるかいないかを論じるのは誤りです。神様はどこにもいないがどこにでも存在すると考えるのが妥当です。生かされているということがわかれば偉大な何かを感じることができるようになります。すべてのことが、自分の意思ではなく大きな流れの中で決まっていくことを感じることができます。人生において選択は重要ですが、それだけではありません。人は自分の意思で選択したように思っていますが、我々に真の選択権はありません。選んだつもりの宿命人生なのです。
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恋人の仕事振りや、
頼りになるところを見て、
ますます好きになるのは
当然と言えば当然です。

そんなことは誰でも知っていますね。

彼女の優しさに接するたびに
好きになるのも同様。

しかし、マンネリ化してきた恋人達が、
次第に気持が離れていくようなことを聞きます。

すべてを知り尽くし、
空気のような存在になった相手を
好きではいられなくなというのです。

恋のジンクスでは4年が限度。
そんなこともよく聞きます。

そこで、一つ。
そうならないように、
対処法を述べてみたいと思います。


人の感情は環境によって
コントロールされています。

その恋が続くか続かないかは、
相手からの見返りによるということです。

彼氏の仕事振りを見たり、
彼女の優しさに触れたり、
何らかの見返りを受け、
好きという気持ちが
持続していきます。

しかし、時間とともに、
見返りがなくなってくる。

時間とともに好きという気持ちが
なくなっていく。

これは時間がそうさせているのでしょうか?

長年連れ添った夫婦は
長くいすぎたために
冷めてしまったのでしょうか?

そんなことはありません。

銀婚式を迎えた夫婦が
今でもラブラブだといった話は
よくあります。

気持ちが冷めていく原因は
環境からの見返りが減った、
もしくは、なくなったからです。


一定期間過ぎると、
人はお互い対して
「してくれて当たり前」
という意識が芽生えてきます。

恋人ならしてくれて当たり前。
夫婦なのだから当然。
そんな勘違いが
多くの見返りを奪っているものです。

何かをしてもらっても
御礼の一つも言わない。

ご飯を食べに行っても
相手が出してくれて当たり前。

恋人の手前では
全てをさらけ出していいといった
勘違いからくる目に余る行動。

ありえない臭さの屁をこかれて、
そこに羞恥心のかけらもなくなれば
可愛げも何もありませんよね。

その見返りはデメリットです。

男性は、
バレンタインにチョコレートをもらっても、
誕生日や記念日にご馳走を作ってもらっても、
喜びもしなければ、感謝の言葉もなく、
それが当たり前の感覚。

昔なら数多くあった気遣いもなく、
荷物を持って欲しいと頼まれると、
めんどくさそうな顔をする。

「ありがとう」
「おいしかった」
「たのしかった」、
そんな一言が大きなメリットになるのだが、
それすらなくなってしまう。

メリットがなくなれば、
次第にその行動を
持続させていくことは
難しくなります。

そこに付随する気持ちとて同じです。


ならば、
相手の気持ちを
ずっとつかんでおくためには、
常にお互いにメリットを
与え続けなくてはならないのか?

してくれたことには
全て笑顔と感謝の言葉で
応えなくてはならないのか?

いつも笑をとって
相手を喜ばせなければならないのか?

常に魅力的で
たくましいところを
見せていなければならないのか?

与え続けないことには、
その恋は終わってしまうのか?

答えは、そうではありません。


正確に言えば、
与え続ける恋はすぐに終わります。

しかし、
“間欠的に”メリットを与える恋は
長続きします。

以前にも紹介した?
こういう実験結果があります。

2匹のマウスに
レバー押しを学習させます。
1匹はレバーを押すごとに餌が与えられ、
もう1匹は3回~6回レバーを
押すごとに餌が与えられます。

前者のマウスの学習行動は
連続強化といわれるものです。
行動一回ごとに
見返りが得られる学習法です。

後者は間欠強化といわれるものです。
同じ行動を何回か繰り返すことで
見返りが得られる学習法です。

それぞれ行動を学習させたあと、
レバーを押しても餌を与えなくします。
するとどうなるか。

前者のマウス(連続強化)は
すぐにレバーを押さなくなります。
しかし、後者のマウス(間欠強化)は
しばらくの間レバーを押し続けます。


ここから何が分るのかといえば、
常にメリットのある行動は、
メリットがなくなったとたんに
行動を起こさなくなります。

しかし
間欠的にメリットのある行動は、
メリットがなくなっても、
ある程度、行動は持続していきます。

熱しやすく冷めやすい恋をする人は
連続強化で学習された恋をしていると言えます。

いくら燃え上がっている恋でも、
それが連続強化で維持された恋ならば、
見返りがなくなれば
とたんに冷めてしまいます。

自分や相手の気持ちを
長続きさせたいのなら、
メリットを与えないことも
時には大事なのですね。

普段、頼りなくても、
たまに男らしいところを
見せればそれでいいのです。

逆に、普段、
男らしいところを
見せている人は、
たまには失敗をして
茶目っ気をみせるのも大切です。

3回に1回は
感謝の気持ちを込めて
とびっきりの笑顔で応えてあげる。
それでいいのではないでしょうか。

間欠的にメリットを与えることが
恋を長続きさせる秘訣です。


まとめ

自分や相手の気持ちを
長続きさせたいのなら、
メリットを与えないことも
時には大事なのです。





からの引用です。
ギャラリー
  • 一心の願い。
  • 一心の願い。
  • 「やる気」を起こさせるには確率を上げる必要もあります。
  • メリットとデメリットを使うことで、「受け取り方」を変える。
  • 行動を起こしてメリットを得る。
  • タバコの止め方
  • どうやって行動先行型に変えるのか。
  • 重要な決断を迫られたときに知っておきたいこと
  • 今、我々に必要なもの