型にはまっていく人。
世のサラリーマンの方々を見渡しては、若者が口にします。
「よくあんな生き方ができるものだ」
「普通の生き方をして何が楽しいのか」
「個性がない」「マンネリ化した人生になる」
「マニュアル通りの生き方なんて何の魅力もない」
あれやこれやとすごい言われようですが、
そんなことを思っていてもいつしか自分も
似たような生き方をしているものです。
人は、なりたい自分がいても、なかなかなれません。
夢や希望を持っていても、そこに見返りがなければ、
いつしか社会が求める生き方をするようになります。
10代のときは夢や希望に満ち溢れ、
今の生活をしているとは夢にも思ってもみなかった。
どこでどう間違えたのか、
いつしか人は型にはまった人生を送っています。
「サラリーマンなんてクソ食らえ!」と、ののしっていた自分が
朝からお得意先周りのため電車に揺られている。
あのようにはなりたくないと思っていたが、
電車のつり革につかまりながら器用に新聞を読む自分。
帰りの電車の中での椅子取り合戦にも、
いつしか自分も参加している。
人は、願っても願わなくても環境が求める生き方をします。
いくら自分がやりたいことがあっても、
環境側から見返りが受け取れないと
それを持続させていくことは出来ません。
周りと違った生き方をするためには、
環境からの見返りが重要になってきます。
周りと違ったことをして
そこにメリットを受けなければなりません。
周りと違った生き方をして褒められる。
周りと違った生き方をして認められる。
そうでなければ、違った生き方なんてできないものです。
やる気や根性があれば、
いつまでも夢を追い続けられる?
いいえ、そんな美談は通用しません。
メリットがなければ、
人は行動を持続させていくことは出来ません。
周りと違った生き方をすることで、
自分が特別な人間に思えるかもしれません。
だから、最近の若者は
あえて周りとは違った生き方を好んでいるようです。
しかし、現実は、そこにメリットを得ることは出来ません。
親のすねをかじっている内は、好き勝手にできていたものでも、
歳をとり、自分で生活をしていくと、難しくなってきます。
マニュアルどおりの生き方を馬鹿にしてきた人でも、
メリットを得られず型破りの生き方ができなくなった今、
世間がマニュアルどおりの生き方を支持しているのであれば、
メリットのあるマニュアル通りの生き方に納まるしかありません。
人は、今の自分が物足りなくとも、
その状況に嫌気がさしていても、
なりたくない生き方がそこにあっても、
そこから身動きが取れないとき、
いつしか、そんな環境を受け入れる自分になっていきます。
サラリーマン生活を毛嫌いしていた人が、
朝早くに家族に見送られ会社へ向かうのです。
仕事を終え、家に帰ってゴロンと横になって、
テレビを見てくつろぐのです。
そこに安らぎを覚えていきます。
缶ビールを飲んでほろ酔いの状態が意外と居心地がいいのです。
なんとなく贅沢な気分にさせてくれるのです。
そこに安住していく自分に気づきます。
昔は、マニュアル人生を否定して、
「自分で自分の人生を築き上げるのだ!」と豪語していた人でも、
環境からの見返りが得られなくなると、
型どおりの生き方をはじめます。
「日本は型通りの生き方しかできない!」とののしっていた人でも、
日本から出ることが出来なければ、
日本人らしい生き方をするようになります。
ちょうど、不良と呼ばれる人たちが歳を取り、
落ち着いていくのと同じように、
環境から見返りが得にくくなると、
人は新たな見返りを求めて変わり始めます。
見返りの得やすい型通りの生き方へ。
まとめ
人は、なりたい自分がいても、なかなかなれません。
夢や希望を持っていても、そこに見返りがなければ、
いつしか社会が求める生き方をするようになります。
環境から見返りが得にくくなると、
人は新たな見返りを求めて変わり始めます。
からの引用です。