性格や人格の直し方
自分と未来は変えることができるが、他人と過去は変えられないとよく言います。一見まともな話のようですが、そんな風に諦念する必要はないのです。他人も過去も変えることが出来ます。カズヒサ氏のメルマガは他人を変えることができるとしています。性格という明確に定義できない原因による他人批判よりメリットとデメリットの法則で考えればやり方が見えてきます。
過去を変える方法はここでは詳述しませんが一心に願えば後戻しということも起こりえるのです。
自分と未来は変えることができるが、他人と過去は変えられないとよく言います。一見まともな話のようですが、そんな風に諦念する必要はないのです。他人も過去も変えることが出来ます。カズヒサ氏のメルマガは他人を変えることができるとしています。性格という明確に定義できない原因による他人批判よりメリットとデメリットの法則で考えればやり方が見えてきます。
過去を変える方法はここでは詳述しませんが一心に願えば後戻しということも起こりえるのです。
性格の問題や人格の問題だと考えがちです。
性格の問題だから治しようがない。
人格なんてものはその人自身、変わるものじゃない。
遺伝子が勝手に決めたこと、自分ではどうすることも出来ない。
そう考えていないでしょうか。
そう考えることで、
自分や周りの人を固定的に見ていないでしょうか。
性格や人格の問題だから変えられないといって
責任逃れをしていないでしょうか。
性格の問題だから治しようがない、
人格的なものだからしょうがない、
そう思ってしまうと、
変えられるものも変えられなくなります。
確かに、心という概念を用いて
性格を直そう、人格を修正しようと考えても無理があります。
遺伝子を操作して変えようとしても現段階では無理なお話です。
しかし、人の行動を今までとは違う捉え方で見てください。
自分や周りの人間の行動は
メリット・デメリットで維持されているものだと考えてください。
そうすると、行動を修正していくうえで、
下手に内面的な感情や動機をどうにかしようとすることなく、
遺伝子もいじることなく、
自然とその人の行動を変化させていくことができるはずです。
性格や人格は、その人の行動パターンの総称であって、
心が作り出しているわけでも、
目に見えない力が働いているわけではありません。
人の行動を形成、維持するものは、
そこにメリットがあるかないかによって決まってきます。
つまりは、今の自分の性格(行動パターン)は、
何らかのメリットがあるがために維持されてきたのだと考えます。
親が望む自分がいて、周りが望む自分がいます。
あなたの周りの人たちからの見返りが
今の自分の行動パターンを作っています。
自分勝手で、自分の好きなことしかやらない。
ずぼらで後片付けもしない。そんな人がいます。
周りは、その人の問題は性格の問題だからどうしようもないと言います。
そういって、その人に行動を正すように直談判することなく
済ませているのです。
言っても聞かないからほっておくしかない。
そういって何も関わろうとせず終わらせることが
その人の行動を形作っているのです。
性格でも人格の問題でもありません。
そこで、この性格を直したいと考えよう。
しかし、性格は行動パターンの総称を指すものです。
だから、性格を直そうとするのではなく、一つ一つの行動を取り上げて、
その行動がどのようなメリットによって維持されているのかを考えます。
ここでは、ずぼらな性格を直したいとします。
そこで、ずぼらな性格の行動を特定しなければなりません。
ずぼらな行動は、自分が出したものもきちんと片付けないこと。
ある営業所でのこと。
得意先周りから帰ってきたTさんは、
帰ってくるなり手に持っていた缶コーヒーを
受付のテーブルの上に置きました。
どうやらおいた時の音からして中は空っぽのようです。
近くにゴミ箱があるのだからそこに捨てればいいのですが、
いつもあのようにどこかに置いたままにするのです。
次に、資料室に入り顧客ファイルを取り出し、
椅子に座ってメモを取り出します。
その後、すぐに出て行ってしまいました。
そのあと資料室に入るとあれびっくり。
全てがそのまんま。
椅子は無造作にこっちを向いており、
顧客ファイルの入った棚の扉は開けっ放し。
もちろん顧客ファイルは机の上に出しっぱなし。
それも開いたままである。
ペンも机の上に転がっており、全く片付けた気配がない。
これが日常茶飯事だそうです。
しかし、ここで周りの人に聞いてみた。
「ちゃんと片付けるように言っているのですか?」
答えは「ノー」です。
仕事ができるし、立場も上、だから直談判もせず、
そういう人だと決め付けてほったらかしにしていたのです。
性格の問題だから直しようがないと決めてかかっていたのです。
性格なんて直らない、ほっておくしかないと決め込んでいたそうです。
性格という捉えどころのないものを直そうとしても無理があります。
しかし、それを性格ではなく
その人の行動そのものを直そうとすればいいことです。
性格とは、個人の行動が集約したものです。
そう考えれば、性格というものが変えることができると分かるはずです。
では、実際に行動に介入してみます。
今の行動が成り立っているのは、そこにメリットがあるからです。
自分が出したものを片付けなくても誰かが片付けてくれる。
楽でいい。メリットです。
ならば、逆に、そこにデメリットを提示してやればいいのです。
ちゃんと片付けなければ、その片付け以上に
何かをしなければならないとしましょう。
掃除がいい。
きちんと片付けをしない人は、
オフィスの掃除もしないといけない。
そのような取り決めを全員でします。
すると、どうでしょう。
今まで全く片付けてこなかったTさんが、片付けるようになります。
時に忘れて出しっぱなしにしてしまうこともあります。
しかし、途中で気付いて戻ってきでも片付けるようになりました。
人は直接、行動に介入してやることで大きく変わります。
人を変える力を持つのは環境側にあります。
つまりその人の周りの我々自身です。
ちなみに、何度言っても効果がない人には、
物質的なメリットとデメリットが効果的です。
何回注意しても遅刻してくる人には、
「遅刻するたびに罰金500円」
その人にとって何がメリットになるのか、
何がデメリットになるのか、
それを見極めなければ効果は期待でないので要注意。
まとめ
性格という捉えどころのないものを直そうとしても無理があります。
しかし、それを性格ではなく
その人の行動そのものを直そうとすればいいことです。
性格とは、個人の行動が集約したものです。
人は直接、行動に介入してやることで大きく変わります。
人を変える力を持つのは環境側にあります。
からの引用です。