自分らしく生きるとはどういうことか

自分らしく生きるとはどういうことか
生老病死、会者定離、喜怒哀楽、愛別離苦は人のもの、意識があるから苦悩がある。動物は平常恐怖を意識せず本能的な自己防衛反応に支配されている。実は意識しているようでしているわけではない。われわれが感じている何かが実在するわけではない。

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今までの型通りの生き方に反発してか、
「自分らしい」生き方をすることが
大事だという風潮が強まっています。

しかし、自分らしい生き方といっても
何が自分らしいのか分からないのが
現状ではないでしょうか。

あれやこれやと試してはみるものの、
「これだ!」と自分が納得できる生き方なんて
そうそう見つかるものではありません。

そうこうしている内に、
周りと変わらない
型通りの生き方をしているのが
常ではないでしょうか。

それもそのはず、
自分らしい生き方とは、
今の自分そのものだからです。


「良い子」として生きることは
「自分らしい」生き方ではないという
専門家がいます。

幼い子供が、
親に喜んでもらうため
自分を演じているからというのが
その理由らしいのですが。


自分らしく生きるということが、
そもそもどういうことなのか
分かっていないようです。

「良い子」として生きてきた子供は、
その当時は、それが自分らしい生き方なのです。

「良い子」を演じて生きてきた子供は、
良い子を演じることで見返りを受け、
生きてきました。

大好きな親に、
「良い子」でいることで
褒められてきたのです。


人は環境からの見返りにより
生きています。

環境が望む生き方がそこにあって、
そこから見返りを受けることで
生きていけるのです。

環境がその人に求める生き方が、
自分らしい生き方ということです。


家族のために生きようが、
世のため人のために生きようが、
将軍様のために生きようが、
どんな生き方でもいいのです。

その生き方にしっかりと
見返りがあるのなら
それでいいのです。

それが自分らしい生き方なのです。

しかし、今までの生き方に
見返りがなくなると、
その生き方は「自分らしい」生き方では
なくなってしまう。

ただ、それだけです。

立身出世のため、会社のため、
家族を犠牲に、己を犠牲に頑張ってきた。

一昔前までなら、それで得られるものがあった。

しかし、昨今、そのような生き方をしても
途端に裏切られる世の中になりました。

そこに見返りが得られなくなると、
人は「自分らしい」生き方をしたいと
言い出します。


若者がフリーターを続けていくのも
いいでしょう。

しかし、その生き方は
いつまでも見返りが続くかといえば
どうでしょうか。

歳を重ねるにつれ、年齢的な問題で
フリーターとしてやっていくことが
難しくなるときがきます。

就職もその歳になれば
経験も実績もなければ無理でしょう。

そうなると、また
「自分らしい」生き方を
探さなくてはなりません。


家族のために生きてもいいのです。

しかし、家族がいつも感謝の気持ちを
表してくるわけではありません。

そこに不満が起こるかもしれません。

そうなると、今の生き方に疑問を抱き、
「自分らしい」生き方が欲しくなります。


将軍様のために生きるのもいいのです。

その環境では、将軍様のために生きることが
一番メリットのある生き方なのです。

将軍様が見捨てない限り
それがその人の「自分らしい」生き方なのです。

しかし、そこにメリットがなくなり、
食べ物もままならなくなると、
自分らしい生き方を望むようになります。

国境を越えたり、
領事館へ駆け込みたくなります。


型通りの生き方とて、
蚊帳の外に追い払われない限り、
しっかりと、そこに見返りがあれば
自分らしい生き方です。


良い子も「良い子」として
見返りを受けている間は、
「自分らしい」生き方を
していることになります。

しかし、歳をとるにつれ、
「良い子」だけではいられなくなった。

歳をとるにつれ、良い子以外に
多くのことが求められるようになってきた。

しかし、その求められることは
容易に手に入れることはできず
見返りが得られなくなってきた。

「良い子」だけではメリットを
得ることができなくなってきた。

そこで、新たな「自分らしい」生き方を
探さなくてはならないのです。


いずれにせよ、自分らしい生き方とは、
今の自分の生き方。

今いる環境から求められる生き方が
「自分らしい」生き方なのです。

しっかりとそこに見返りがあれば
必然と「自分らしい」生き方になります。


「自分らしい」生き方が
できていないという人は
たくさんいるでしょう。

しかし、それは、
今いる環境に見返りがないだけ。

「自分らしい生き方」とは
一つのものとして存在するものではりません。

探して見つかるものではありません。

いかに環境と上手く関わり
その環境から見返りを得るのか。

その環境の中で、見返りを受けることができれば
それがあなたの「自分らしい生き方」になるのです。

まとめ 

今いる環境から求められる生き方が
「自分らしい」生き方なのです。

「自分らしい生き方」とは
一つのものとして存在するものではりません。

探しても見つかるものではありません。

いかに環境と上手く関わり
その環境から見返りを得るのか。

その環境の中で、見返りを受けることができれば

流行のフリーター

流行のフリーター
そうするしかなくなったときそれは始まる、それが環境であり外的意図である、意識性はそこに自分がいることを確認しているに過ぎないのであり選択に関わってはいない。

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学校を卒業しても
定職に就かず、
アルバイトをしながら
自分の好きなことをする。

そんな生き方をする若者を
最近よく見かけるそうです。

世間は何かと、
そのような生き方を
自立心が無い、責任感が無いなどと
無意味な非難を続けています。

しかし、それも、
しっかりと環境が求める生き方です。

学者の中には、
何を基準に見ているのか、
よく新たな社会現象を
否定的に捉えるものです。

人間関係が希薄化している。

若者の体力が落ちている。

子供たちは変わった。

大人が駄目になっている。

いろいろなことを言ってはいるが、
少し考えてみましょう。


人間形成において、
そこに大事なものは何か。

それは環境です。

人間は、自分のおかれた環境に
適応していくための行動を
獲得していきます。

その環境の中で
メリットとなる行動を
獲得していきます。

そこで出来上がる行動は、
その人にとって意味のあるもの。

駄目だ、駄目だと言いますが、
それが当人の環境では
プラスになっていることを
忘れてはいけません。

メリットで維持された
行動なのです。


人間関係が希薄化している。

そうかもしれません。

しかし、一人でも楽しめる環境が
できているのは事実です。


若者の体力が落ちている。

確かにそうです。

しかし、
それはそうなる環境に
育っているからこそ。

これだけ便利になった社会で、
筋肉隆々とした若者がいるほうがおかしい。

しっかりと環境に適応しての結果です。


環境が変われば、
人間も変化するのは
当然のことです。

今、起こっていることは
人間の節理からして
正常・当然・当たり前のことであって、
問題視するものではありません。

問題と見るべきものは
環境です。

環境が変わったから、
その環境に置かれた人間も
変わったに過ぎません。

人間は環境からの見返りにによって
変化する生き物です。


フリーター思考の若者も、
今のご時世で
安定した、将来性のある
仕事先に就くことは難しい。

就職できたとしても
後先は見えてこない。

年金も当てにならない。

年功序列もなくなり、
就職することに
メリットがあるのかないのか。

フリーターをしているほうが
ましな面が多いのではないか。

収入はそこそこいい。

融通が利くし、気が楽。

フリーターでいる限り
夢を持ち続けることが出来る。

就職していいことといえば、
世間の通りが良くなることぐらいではないか。


フリーター志向を
その場限りの享楽的な生き方と
見るかもしれない。

しかし、それでも、その人にとって
メリットであり続ける限り、
その生き方をやめることはできないものです。


将来、しっかりとした
技術や経験をつんだ労働力が
不足する恐れがある。

そのためにも、
このフリーター志向の生き方を
打開しなくてはいけないという。

それならば、その若者たちを
非難、叱責するのではなく、
フリーター志向の生き方に
メリットを無くすことが先決です。

または、就職することに
大きなメリットを与えるなり、
環境を整えることが大事です。


多くの人たちは、
何か問題が起こると
その人自身を責めようとします。

批判する人は批判することで
優越感を感じられるためか、
やめようとはしません。

しかし、
それでは解決には結び付きません。

環境にメリットがある限り、
同じような人はいくらでも出てきます。


フリーターがはびこる社会、
それを個人の問題と取るのでは、
解決にはなりません。

根無し草の生き方をする若者が
確かに増えています。

大学まで進学したが、その後、
就職するわけでもなく、
フリーターを続けている若者が
たくさんいます。

これは致し方ない。

若者が悪いわけではありません。

就職活動をしても
仕事が決まるわけではない。

バイトは採るが社員は採らない。

そういう会社も増えている。

衣食住を与えてくれる
裕福な親がいる。

時間や規則に縛られない
自由な風潮。

フリーターを作る環境がそこにある。


まとめ
 
環境が変われば、
人間も変化するのは
当然のことです。

今、起こっていることは
人間の節理からして
正常・当然・当たり前のことであって、
問題視するものではありません。

問題と見るべきものは
環境です。

環境が変わったから、
その環境に置かれた人間も
変わったに過ぎません。

人間は環境からの見返りにによって
変化する生き物です。














からの引用です。

価値観の違いは環境の違い

価値観の違いは環境の違い
思考、思索、思う、考えるは創発を待つこと、経験や知識のカオスからつなぎ合わされ重なり混じり合い新しいアイデアが生まれ出るよう意識を集中すること、一定の時間を要するものひらめきに似たものがある。潜在意識に戻して一夜明けると答えができているというようなこと、その都度のメモが大事、目標行動が起こらないのはそのために今なにを優先的にやればよいかが具体化していないからである。行動の課題分析を行い行動プロセスを目標行動に関連づける、この具体化作業が進まないなら外的意図は形成されていないことになる。
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人は生きている環境によって
価値観が違います。

その違いは、友人、家族単位に始まり
国家規模まで様々です。

それを知ってか知らずか、
自分の価値観を
相手に押し付けようとする人がいます。

「自分が正しい」
人はそう思いたいのか、
相手を否定して、
自己主張を繰り返すのです。


環境が違うもの同士が
意見をぶつけ合うことは
よく見られます。

親子喧嘩にはじまり、
若者と大人、教師と生徒、
政党同士、国と国とでも同じです。

環境が違えば価値観も違ってきます。

それぞれの環境での
メリット・デメリットの違いが
価値観の違いを生みます。

褒められ、叱られ、けなされ、
その繰り返しが、価値観を作ります。


その人が生きてきた
環境から学んだ価値観は、
その環境の中では正しいこと。

何が正しい、何が間違いだなんて
その環境に立たされてみなければ
一概には言えないものです。


親が、学校を卒業した子供に
就職をして真面目に働け!といいます。

しかし、子供は
やりたいことがあるといって、
フリーターを続けながら
好きなことをします。

親子の意見は対立するが、
どちらが正しいというものではありません。

親の言うことは
親が育ってきた環境からすると
正しいことなのです。

親が暮らしてきた環境を考えれば、
世のため人のために働くことが基本。

高度経済成長の中、
立身出世のため自己犠牲、家族犠牲は当たり前、
「働かざるもの食うべからず」の社会。

そこで培ってきた価値観が活きています。

一方、子供が言うことも、
子供の環境からすれば正しいことなのです。

今のご時世を考えれば、
子供が暮らしている環境は
個性や個人の尊重、自分らしさ、
独創性が叫ばれています。

そんな中では子供のいう生き方は
大きな支持を得るでしょう。

親と子、
どちらが正しく、
どちらが間違いということはありません。


こういうのもあります。

環境保全のために活動している人が、
資源の無駄遣いを非難する。

「日本は贅沢しすぎである。
コンビニで余ったおにぎりはどうするの?
披露宴での食べ残しはどうなるの?
不必要な浪費で多くの犠牲が
払われているではないか」

確かにそうです。

コンビニでの売れ残りの
おにぎりやお弁当。

コンビニだけに限らず、
デパートやスーパーなどでも
売れ残りが処分されます。

日本全国その数は膨大です。

冠婚葬祭では、
ほとんど手付かずの料理が
ゴミ箱へ。

環境保護団体が
非難するのも無理はありません。

しかし、一方、
コンビニを経営する側からすれば、
ギリギリの納品で品不足になっては
客のニーズに応えられません。

常に手に入るといった
品揃えのよさがあって初めて
コンビニの意味があります。

披露宴でも、
豪華な食事を出さないことには
式が貧相になってしまう。

わざわざ、一人一人の好みや、
腹のすき具合、体調を
聞いて回るわけにはいきません。

一人一人、分量調整をして
料理を出していては、
手間と時間がかかりすぎる。

そんなことをしていては
死活問題になりかねません。


両者の言い分は正しいのです。
それぞれの環境には
それぞれの価値観があります。

相手を否定するのではなく

「ああ、この人は、こういう考えのもとで
暮らしてきたんだな」

「そういう考えが成り立つ環境にいるんだな」

と、まずは肯定的に受け入れて欲しいものです。


その人の考え、価値観は、
その人の環境の中では、
決して間違ったものではないのですから。


まとめ

その人が生きてきた
環境から学んだ価値観は、
その環境の中では正しいこと。

何が正しい、何が間違いだなんて
その環境に立たされてみなければ
一概には言えないものです。


それぞれの環境には
それぞれの価値観があります。

相手を否定するのではなく

「ああ、この人は、こういう考えのもとで
暮らしてきたんだな」

「そういう考えが成り立つ環境にいるんだな」

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