誰しも人生には何度かのピンチがありまさかがあります。病気や思いがけない怪我もありますが、仕事上の挫折や家庭問題の深刻化もあります。毎日朝、神棚に手を合わせ夕べに仏壇を拝んでも起きることは避けられないようになっています。かつては戦争や時の支配者の思惑で生死が決まってしまうようなこともありました。今ではコロナウイルスのような外的要因により運命が左右されるようなことが起こります。これはどうしてそうなるのでしょうか。なぜ平和で平穏な人生をおくることができないのでしょうか。
人が生きていくためには、人生でいくつかの試練を乗り越えなくてはならないようになっています。他の人を見ていると何事もなく平穏で平和に暮らしているように思います。しかし隣の芝生は青く見えるのたとえの様に、決して何事もなく生涯を終えることなどできない相談なのです。それは、その人にとって必要な試練ということができるからです。試練から人は多くのことを学ぶことができ、精神が成長します。
しかしそうは思っても目の前の試練には、苦悩し挫折をします。何とか苦境を乗り越え平和な日々をとり戻したいと思うことでしょう。そういう時には頼れるものに一心に願う心が起こります。頼れるものとは神仏に限らず、何かの偉大な力に救いを求めて一心に願うようになります。
一心の願いが叶うと安堵します。一心の願いには大きなエネルギーと力があります。一心の願いが強ければ、自分の望む結果を引き寄せることができます。ときによっては、時を後戻しして願いを結実させることもあります。それほどに一心の願いは大きな力があります。おかげをいただきたいなら、全身全霊を集中して一心に願いそして祈ることです。